影響力を失った地政学リスク

 世界最大の原油需要国である米国では2日のレーバーデーの祝日が過ぎてドライブシーズンが終了し、ガソリン需要が落ち込む季節に入った。3日に発表された8月の米サプライマネジメント協会(ISM)製造業景況感指数は47.2と市場予想(47.9)に届かなかった。雇用市場の軟調さも暗い影を投げかけている。

 ゴールドマン・サックスは3日、「人工知能(AI)が今後10年、物流の改善がもたらすコスト削減などを通じて原油価格を圧迫する可能性がある」との見方を示している。

 世界最大の原油輸入国である中国も不動産バブルの崩壊で景気が悪化しており、原油需要の下振れ予想が確実視されている。8月の製造業購買担当者景気指数(PMI)が49.1と4カ月連続で好不況の境目である50を下回ったことも「売り」を誘った。中国で原油在庫が急増していることも問題視されている*1

*1中国で爆発的に膨らむ商品在庫、景気不振の深刻さ表す(9月2日付ブルームバーグ)

 1年近く原油市場を支えてきた地政学リスクも影響力を失った感が強い。

 イスラエルとハマスの停戦交渉に市場が反応しなくなったと言っても過言ではない。

 イランのイスラエルへの報復も腰砕けに終わったようだ。むしろ融和路線の兆しが出ている。イランの最高指導者ハメネイ師は8月27日、改革路線を掲げるペゼシュキアン大統領らとの会合で「(宿敵米国との)交渉に障壁はない」と発言した。2015年の核合意を彷彿とさせる発言を踏まえ、「イランは長年の強硬路線から外交努力に切り替えるサインだ」と受け止められている。

 ウクライナ軍によるロシアの石油関連施設に対するドローン攻撃が続き、イエメンの親イラン武装組織フーシ派による石油タンカーへの攻撃も相次いでいる。だが、これらの事案が市場を動かす力はもはやないようだ。

 このような展開はOPECプラス(OPECとロシアなどの大産油国で構成)にとって逆風だ。サウジアラビアなど有志8カ国が実施している日量220万バレルの自主減産を10月から徐々に縮小する方針を8月末まで堅持していたが、9月4日付ロイターは「OPECプラスは10月以降に計画していた原油の減産幅縮小の延期を協議している」と報じた。

 だが、自主減産の延長では原油価格の下落傾向を止めることはできないのではないだろうか。

 米シティは4日、「OPECプラスが減産を拡大しない場合、来年の原油価格(平均)は1バレル=60ドルまで下落する可能性がある」との見通しを示した。

 原油消費国である日本にとっては望ましいことだが、原油価格の急落は中東産油国の財政を悪化させ、政情不安を招くリスクをはらんでいる。原油輸入の中東依存度が世界で最も高い日本にとって「先楽後憂」の結果とならないことを祈るばかりだ。

藤 和彦(ふじ・かずひこ)経済産業研究所コンサルティング・フェロー
1960年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省後、エネルギー・通商・中小企業振興政策など各分野に携わる。2003年に内閣官房に出向(エコノミック・インテリジェンス担当)。2016年から現職。著書に『日露エネルギー同盟』『シェール革命の正体 ロシアの天然ガスが日本を救う』ほか多数。