今日のロシアとウクライナの国境線の根拠とは

 東部はドネツク州を中心に、資源採掘地や重化学工場が集中しています。ウクライナとしては、東部の分離を認めると、経済的な損失が大きくなります。

 それでも、今日のような泥沼の戦争になるならば、独立時に東部をウクライナと切り離して、ロシア側の領土としていた方が、ウクライナにとって良かったのではないかと考えることもできるかもしれません。

 プーチン大統領によると、ハルキウ州、ルハンシク州、ドネツク州、ザポリージャ州などのロシア系住民が多く居住している東ウクライナは全て、本来、ロシアのものであり、ウクライナに属する領土ではないということになります。

ウクライナ東部のハルキウ州(Kharkiv)、ルハンシク州(Luhansk)、ドネツク州(Donetsk)、ザポリージャ州(Zaporizhzhia)にはロシア系住民が多い(写真:Radzas2008/Shutterstock.com)
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 これは一方的な主張であり、到底容認されるものではありませんが、民族や言語分布と国境線が一致していないことなど、彼には認められないのです。

 18世紀後半、エカチェリーナ2世の時代に、ウクライナ全域がロシア帝国の支配に完全に組み込まれます。そして、かつてウクライナの騎馬勢力コサックが支配した領域の境界線がロシア帝国内の行政区境界線となりました。

 この境界線を、レーニンがソ連邦を形成する際に、ロシア共和国とウクライナ共和国の境界線として援用したのです。さらに、その境界線が今日のロシアとウクライナの国境線の根拠となっています。

 プーチン大統領はこの境界線を認めないとともに、レーニンによって、民族対立という「時限地雷」が埋め込まれたと厳しく批判しています。

著者の近著『日本人が知らない! 世界史の原理』(共著:茂木誠、ビジネス社)