プーチンが評価する、スターリンの「一つのロシア」

 また、スターリンはグルジア人(ジョージア人)であり、ロシア人ではありません。ロシア人と非ロシア人の区分を消し去り、非ロシア民族の民族感情を抑えたかったという思惑もあります。出身地のコーカサス地方ジョージアで反ロシアの反乱などが起きれば、自らの責任を問われ、政権の足場を失うと考えたのです。

 レーニンはスターリンを独裁的として批判しました。結局、レーニンの意向通り、新生ソ連はソビエト連邦という連邦国家になります。

 ただし、実質的には、ウクライナやベラルーシをロシアが支配し、対等ではありませんでした。レーニンはどこまでも偽善者だったのです。

 プーチン大統領は、レーニンが主張した中途半端な連邦体制によってウクライナ民族とロシア民族との間に確執が残ったのであり、新生ソ連は一つの国家として、民族を統合するべきだったと考えています。その上で、スターリンの「一つのロシア」の考え方を高く評価しているのです。

お土産物としてつくられたプーチン大統領と故スターリン(写真後ろ)の胸像(写真:AP/アフロ)

 プーチン大統領は「レーニンは(現在のウクライナの)南部・東部などの親露地域さえもウクライナに与えてしまった」と批判しています。

 1991年、ソ連崩壊とともに、ウクライナは東部も含めて独立しています。独立直後、ウクライナ東部のロシア系住民はウクライナからの分離独立を目指し、武装勢力を結成しました。その対立が表面化したまま、今日に至っています。