ウクライナについて独自の歴史認識を示してきたロシアのプーチン大統領(写真:代表撮影/AP/アフロ)

 米保守系テレビ局FOXニュースの元司会者タッカー・カールソン氏が2月6日、ロシアのプーチン大統領に2時間に及ぶインタビューを敢行しました。西側メディアによるプーチン大統領の一対一のインタビューは2019年以降で初めてのことでもあり、大きな話題となりました。

 プーチン大統領はこのインタビューの中で、「ウクライナ人は一つのロシア民族の一部だ」と主張しています。ロシア人とウクライナ人は離れ離れになってはならないというのです。歴史の事実としては、ロシア帝国がウクライナ人を17世紀末から18世紀にかけて、力により一方的に従属させたのですが、プーチン大統領は、ウクライナ人がロシア人との統合を望んだのだと主張しています。それは本当なのでしょうか?

(宇山 卓栄:著作家)

リトアニア大公国に従属したウクライナ

 プーチン大統領の言うように、ロシア人もウクライナ人も民族的には、共通の起源を持ちます。インタビューで言及していたリューリクが率いたルーシ族はロシア北部に862年、ノヴゴロド国を建国します。その後、リューリクの親族であったオレーグはビザンツ帝国との交易の拠点となっていたキエフに南下します。オレーグは882年、ノヴゴロドからキエフに本拠を移します。

 さらに、プーチン大統領は「チンギス・ハーンの後継者たち、すなわちバトゥ・ハーンはロシアにやって来て、ほとんどすべての都市を略奪し、破滅させた」と述べた上で、モンゴルの支配に屈しながらも、「主権の一部を維持することができた北部ロシアのモスクワを中心として、統一ロシア国家が形成されはじめた」と言っています。彼の言う「統一ロシア国家」とは、15世紀後半に成立したモスクワ大公国のことです。

2019年以降、初めてプーチン大統領(右)が西側メディアの単独インタビューに応じた(写真:ロイター/アフロ)

 一方、この時、ウクライナはどうなっていたか。

 プーチン大統領は「キエフを含むロシアの南部は徐々にもう一つの磁石、つまりヨーロッパに出現しつつあった中心に引き寄せられはじめた。それがリトアニア大公国で、ロシア人が人口のかなりの部分を占めていたため、リトアニア・ロシア公国とさえ呼ばれていた」と述べています。

 リトアニア大公国は14世紀、当時、モンゴル人勢力を駆逐しながら、南方に勢力を拡大していきます。リトアニア大公国はリトアニアのみならず、ベラルーシ、ロシア西部、ウクライナにまたがる広大な領域を支配するようになります。

 そして、リトアニア大公国は1386年、ポーランドを併合します。リトアニア大公ヤギェウォ(ヤゲロー)はポーランド女王と結婚し、ポーランド王とリトアニア大公を兼ね、ヤギェウォ朝を創始したことで有名です。プーチン大統領は「リトアニア大公国とポーランド王国の統合があった」と言及しています。

 さらに、ウクライナはこのリトアニア大公国に従属させられたと指摘しています。実際に、これがモスクワ大公国を中心とする「統一ロシア国家」とウクライナの歴史的な分かれ目になったのです。