控えキャッチャーだったという負い目

 1年目のシーズンは、大学4年間と同じように控え捕手として過ごす。当時の日本通運は、入社3年目の小川将俊(現・立正大コーチ)が正捕手としてマスクを被り、2番手にもドラフト候補に名前が挙がる捕手がいた。当然ながら、入社したばかりの鈴木にはまったく出番がなかった。

 たまにオープン戦で起用されるのだが、バッテリーを組んだ同期の投手から、試合後、「なんか投げづらいよ」と文句を言われたことがある。きれいに捕ろう、上手くリードしようと一生懸命に考えているのだが、空回りしていた。

日本通運時代の鈴木健司(写真:共同通信社)日本通運選手時代の鈴木健司(写真:共同通信社)

 キャッチングは決して下手ではなかったはずだ。大学時代に木佐貫や永川の150km超の速球をブルペンで受け続けてきた。だが、試合になるとまったく別物だった。

 それは、試合勘のなさが原因だった。状況が刻々と変わる中で、配球を考え、打者や相手ベンチを見たり、いろんなことをしながらボールを受けなくてはならない。それぞれの投手で、投球テンポやリズムが違う。「ピッチャーに、どうやったら気持ち良く投げてもらえるのだろう?」と考えながら練習するようになった。

 そうやって1年過ごし、2年目の年明け、先輩投手から「お前は投げやすいな」と言ってもらえた。もちろん、相性もあるだろう。それでも、少しだけ手応えをつかめた。「面白さなんて、最初は全然なかったですね」と言う。

「(大学で)控えキャッチャーなのに採ってもらった」という思いが常にあった。監督の後輩という間柄もみんなわかっている。心のどこかに後ろめたさも感じていた。日々、「結果を出さなきゃいけない」という戦いだった。

 2年目のシーズン、突然、道が開ける。(続く)

【矢崎良一(やざきりょういち)】
1966年山梨県生まれ。出版社勤務を経てフリーランスのライターに。野球を中心に数多くのスポーツノンフィクション作品を発表。細かなリサーチと“現場主義"に定評がある。著書に『元・巨人』(ザ・マサダ)、『松坂世代』(河出書房新社)、『遊撃手論』(PHP研究所)、『PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って』(講談社)など。2020年8月に最新作『松坂世代、それから』(インプレス)を発表。