松坂城 写真/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

タイトにして巧緻な縄張

 筆者が、人から聞かれて答えに困る質問に「好きな城はどこですか?」というのがある。 城の面白さとは、一つ一つが他と違って個性的であることだと思っているので、どこかの城を他と比較して「A城の方がB城より面白い」とか「B城の方がC城より好き」みたいに感じたことがないのだ。強いていうなら「そのとき見ている城がいちばん好き」となるのだが、この答えは少々キザで、口にしにくい(笑)。

 とはいえ、歩いていて「楽しいなあ」「来てよかったなあ」と、しみじみ感じた城はある。その代表が、伊勢の松坂城だ。

写真1:城下の足軽長屋から見た松坂城。江戸時代の足軽長屋は遺例が少ないので、貴重な建物である

 松坂城を築いたのは蒲生氏郷である。近江に生まれた氏郷は、織田信長・豊臣秀吉に仕えて頭角をあらわし、天正16年(1588)、石垣造りの堅固な城を松坂に築いた。ほどなく会津に大封を得て転じたために、氏郷が松坂にあったのはわずか2年でしかないが、城の基本はこのとき整えられたものだ。

写真2:城内の随所に蒲生時代の石垣が残る

 城の縄張は、タイトにして巧緻。本丸に向かう通路は屈曲を繰りかえし、まるで城域全体が枡形虎口の連鎖で構成されているようだ。櫓台や横矢掛りも随所に配されているから、城兵が正常に配置されていたなら、本丸までたどり着くのは絶望的に不可能と感じる。

写真3:城の中心部へ向かう通路は屈曲を繰りかえして敵の侵入を許さない

 逆に城兵の立場で石垣の上に立ってみると、自分が何を狙い、どう戦えばよいのか、いちいち考えなくても理解できるようになっている。城とは人がいて初めて機能するものだが、すぐれた城は人を防禦システムの歯車として機能させるらしい。

写真4:石垣の上に立つと侵入者を容易に狙撃できることがわかる

 「縄張の緻密な技巧性」という意味において松坂城は、津山城・甲府城と並んで全国でもベストに指折ることができるが、3つの中では松坂城がいちばん古い。こんな城を造りあげた蒲生氏郷という武将は、やはり当代屈指の戦術家だったのだろう。