いざ入社すると、独特の雰囲気の研修にいきなり面食らった。企業理念の斉唱を繰り返し求められただけではなく、「会社に入ってやりたいことを全力で叫ぶ」という研修があったのだ。「研修に集中すること」を理由に携帯電話を取り上げられ、外部とのコンタクトは閉ざされた。研修が終わった後も、企業理念は毎日斉唱しなければならなかった。Mさんは「あれは洗脳だったね」と当時を振り返る。

 配属されたのは本社のマーケティング部署。本社は地方にあり、車なしでは生活できなかった。ただ、当時は同僚と仲が良く、週末はキャンプや温泉巡りをして楽しく過ごしていたという。

 とはいえ、配属されたマーケティング部は希望していた部署ではなかった。「グローバルな部署に行きたい」という希望は叶わず。「仕事内容そのものはやりがいがあり、学びもあったが、カルチャーが『日本』過ぎてしんどかった」という。上下関係にうるさい企業文化だった。上司はMさんを「お前」呼ばわりしたかと思うと、社長が来たらゴマをする。会社の中での等級が細かく定められているなど、独特のタテ社会に強烈な違和感を覚えた。

 Mさんはアメリカで幼少期を過ごし、中学・高校もグローバルな環境で育ったため、上下関係のないフラットな人間関係に慣れていた。先生や先輩にもタメ口で話すような雰囲気の学校に通い、敬語を使うのを覚えたのは大学で吹奏楽部に入ってから。大学の厳しい上下関係には当初カルチャーショックを受けたという。

 部署変更を希望し、2年目は貿易関係の部署に回された。だが、この部署はさらに「ドメスティック」(国内向け)だった。物品を輸入する際の関税率を計算して、書類を日本語で作ることが主な仕事で、机の上での事務作業がほとんど。社交的な性格のMさんに合わないのは明らかだった。