「蓮舫いじり」は日本政治を腐らせている元凶だ
第二の「ボーナス受給批判」にも似たような「におい」を感じる。
自民党の小泉政権や菅義偉政権、日本維新の会の政治に特に顕著な「身を切る改革」の政治は、平成の時代の日本を席巻した。国会議員に渡されるささやかな公費をすべからく「悪」とみなし、片っ端から「身を切る」ことが、あたかも「正しい政治」であるかのように喧伝された。
若手など資金力のない政治家が、日常の政治活動にかかる普通のお金にも四苦八苦するのを横目に、私たちはごく最近まで、自民党政治家による巨額の裏金づくりを、平気で見過ごしてきた。
そして第三の二重国籍問題である。
こんなことを今の時代に決して言いたくはないが、結局は女性やミックスルーツの方々といった、社会的に弱い立場の人間をそのままの立場にとどめておきたい、つまり「社会の片隅で申し訳なさそうに生きていてほしい」という「マッチョな男たち」の身勝手な願望が、結局はいつまでもこの問題をおもちゃにしていたい、という欲求につながっているのではないか。
これらはすべて、社会の価値観の変化に追いつけず、むしろ変化を押しとどめようとして日本の政治を腐らせている元凶だと考える。
独裁的で権威主義的な政治が確かな政策遂行につながらないことは、大阪万博が証明している。公的なものを切り捨てる政治は、コロナ禍などの非常事態にもろさを露呈した。多様性を認めない価値観に社会がNOを突きつけ、企業などが即座に対応を迫られることは、政治以外のジャンルでは日常茶飯事だ。
そういう時代に政治がついて行けていない。
今回の「蓮舫いじり」には、ネット上で「#蓮舫パニックおじさん」などというハッシュタグがつき、失笑を買っている。
あのような誹謗中傷と、それを許してきた政治は、もはや時代に完全に置いて行かれていることを、そろそろ認識すべきではないのか。