誹謗中傷から垣間見える「チェック機能」の軽視
最後に、今なおくすぶる「二重国籍」問題である。もはや言葉を尽くす気も起きないが、これは蓮舫氏の民進党代表時代に散々言い立てられ、蓮舫氏が戸籍謄本の一部を公開してまで対応し、解決したのは周知の事実だ。
そこから7年近くがたっているのに、蒸し返す神経が理解できない。蓮舫氏が現職の参院議員であることからも、何の問題もないのは明らかだ。
以上、これらの誹謗中傷は本来、いずれも完全無視で構わない内容なのだが、筆者があえてこれらに着目するのは、いつまでもこんな意味のない誹謗中傷にすがる、この国の政治のありようが、ここから垣間見えるからである。
第一の「無所属出馬批判」だが、逆に政党公認の首長がいるのはどこかと言えば、代表的なのが地域政党「大阪維新の会」公認の首長が続いている大阪府や大阪市だ。
これらの自治体では維新公認首長のもと、議員の存在が「無駄」だと言わんばかりに、議会の大幅な定数削減が進められた。その結果として、議会が首長の政策をチェックする二元代表制の機能が大きく損なわれている。
こうした政治を「行政がトップダウンでスピード感を持ち政策を進める政治」ともてはやす風潮が、平成の時代には国政、地方政治を問わず日本を覆っていた。首相や首長のリーダーシップばかりが求められ、チェック機能や監視機能という存在は「抵抗勢力」として疎んじられた。
蓮舫氏への誹謗中傷は、あるいは単に「立憲の看板には魅力がない」と当てこする程度のものだったかもしれないが、背景には、世間にはこのような「効率優先の政治」を良しとする空気があり、蓮舫氏を叩いても一定の理解を得られる――というもくろみがあったのではないか。