モサドとCIAの関係は近い。
モサドに詳しい『ニューヨーク・タイムズ』のローネン・バーグマン記者の著書(Ronen Bergman, Rise And Kill First, Random House, 2018)によると、モサドとCIAは1956年以来の関係のようだ。この年2月14日からのソ連共産党第20回大会を前にした中央委員会幹部会でヨシフ・スターリンを批判したニキータ・フルシチョフ第一書記の秘密演説のテキストをいち早く入手したモサドがそのフルテキストをCIAに提供、アレン・ダレスCIA長官からドワイト・アイゼンハワー大統領に渡され、大統領の指示で同紙にリークして米国民に詳しく伝えられ、モサドの評価が高まったという。
それを機に、米国とイスラエル情報機関の緊密な関係が今日まで続いている。筆者が2008年に東京でランチを共にした第9代モサド長官エフライム・ハレビー氏もそんな事実を肯定した。
3000人の標的を暗殺
モサドが標的暗殺を重視してきた事実は、イスラエル建国の歴史でもたどることができる。ユダヤ人たちがシオニズム運動の高まりでパレスチナの地に戻り始め、1920年にユダヤ人自治組織、1931年に強硬派の民族軍事機構、1941年には英国の委任統治機関が「テロ組織」とみなした過激な地下組織が形成された。これら組織が、イスラエル建国に向けて英国治安機関員らを標的に暗殺する事件も起きた。
建国後、イスラエル首相の座に就いたメナへム・ベギンやイツハク・シャミルらは実際に標的暗殺にかかわった歴史がある。過激派組織イルグンを率いたベギン元首相に関する情報提供を求める懸賞金付き手配書がバーグマン記者の著書のグラビアに掲載されている。
イスラエル建国につながる激烈な歴史にはそんな事実が秘められている。標的暗殺はシオニズム運動の革命的ルーツにその根源があるようだ。
では、イスラエルはこれまで、どれほどの標的暗殺を行ってきたのか。バーグマン記者はドイツ週刊誌『シュピーゲル』に全部で3000人との推計を明らかにしている。
その内訳は2000年9月の第2次インディファーダ(反イスラエル闘争)の前までで約1000人。「自爆テロ」に対してイスラエルが初めて武装ドローンで標的殺害を行ったインティファーダで168人。それ以後2007年までで約800人としている。
米国の対テロ戦争で、ジョージ・ブッシュ政権(子)が標的殺害件数48件、CIAのドローン操縦により標的を狙ったオバマ政権が353件。オバマ政権時、米国籍を持つテロリストを殺害して、訴えられたケースがあったが、「戦時」を理由に勝訴した。
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