昨年10月7日、パレスチナ・ガザ地区のハマースを含む武装勢力が、イスラエルに越境奇襲攻撃を仕掛け、およそ1200人を殺害し、約240人もの人質を取った。イスラエルは報復攻撃を開始し、ガザではすでに3万5000人以上が亡くなり、7万8000人以上が負傷している。
1948年のイスラエル建国以降、領土と権利をめぐりユダヤ人とアラブ人は激しく衝突を繰り返してきた。その中で、圧倒的な軍事力を持つイスラエルは激烈な弾圧を繰り返し、領土を拡大している。
かつて日本赤軍を結成し、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に参加して、およそ30年にわたり、現地で共に戦った日本人は今何を思うのか。『パレスチナ解放闘争史 1916-2024』(作品社)を上梓した重信房子氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──この本のタイトルは『パレスチナ解放闘争史 1916-2024』です。どんな本でしょうか?
重信房子氏(以下、重信):この本では、パレスチナを中心に、中東地域の歴史について書きました。(イギリスに統治されていた時代も含め)100年以上も植民地状態が続いているパレスチナの中で、人々がどのように暮らし、闘い、生きてきたのか。解放を目指す民衆の視点から書きました。
──この本の中には膨大な情報が詰まっています。いつから、どれくらい時間をかけて書かれたのでしょうか?
重信:多くの部分は、2015年、2016年あたりから、3年くらいかけて書きました。(赤軍のメンバーではないのですが)昔のある友人が2015年にアメリカから強制送還されてきた時に、獄中にいた私に警察から任意の取り調べが入りました。それを断ると、今度は検事の取り調べが入りましたが、私はそれも断りました。
すると、獄中に家宅捜索が入りました。非常に狭いスペースですから、家宅捜索が入るのは異例です。いつも監視されている中にいるので、捜すものなんてありません。ただの嫌がらせです。
その時に、自分は医療刑務所にいる病人だと思っていたけれど、権力の側は、まだ私を現役と見ているのだと気づきました。
それまで「パレスチナや中東に関して書いてほしい」と言われては「獄中にいるので、外にいる他の人に書いてもらってください」と断っていましたが、「現役と思われているならやらなくちゃ」と考え直し、書き始めました。
自分は生きて監獄を出られるか分からないという状況でしたけれど、書きながら、だんだん楽しくなってきました。「日本にはパレスチナの状況がぜんぜん伝わっていない」と感じていましたから、自分が現地で見た部分を中心に、パレスチナの歴史を全部書きました。最終的には10万字以上になりました。
さすがに10万字は長すぎるので、書籍化に向けてコンパクトにしようと書き直している時に、武装勢力による越境奇襲攻撃が起こりました。「10月7日にハマースが攻撃し、イスラエルが反撃してすべてが始まった」かのような捉え方で日本では報じられていますが、そうではないということからまず伝えたいと思いました。
「ハマースとの闘い」「テロとの闘い」という文脈で語られがちですが、これは間違いです。75年にもわたり、繰り返し民族浄化というレベルで弾圧されてきたパレスチナ人が、ぎりぎりのところで立ち上がったのです。
そして、このような状況になった責任が、アメリカと欧州にあることをぜひこの本から読み取っていただきたい。戦後に、イスラエルを作るという決断をしたのは戦勝国です。
ユダヤ人への迫害に対する強い反省と同情から、ユダヤ人が住んでいた故郷に戻ることから戦後の秩序が作られるべきだったと思いますが、実際には、反ユダヤ主義は根強く、「ユダヤ人に出て行ってもらいたかった」という欧州の本音があります。
そのような状況下で、シオニストが戦勝国と交渉して、イギリスの植民地だったパレスチナにイスラエルを建国した。ですから「パレスチナ問題」というより「ユダヤ人問題」「イスラエル建国問題」であり、背後には戦勝国の都合がありました。
──重信さんとパレスチナの関わりについて教えてください。