シンワル氏は、ハマスで「秘密警察」に相当する治安・防諜機関「総合治安情報部」を指揮下に置いてきた。
1980年代に、ハマスを裏切りイスラエルの協力者になった複数のパレスチナ人を殺害して終身刑の判決を複数回受け、計22年間投獄された。その間ヘブライ語を学び、イスラエル社会・文化の知識も得た。2011年に出所して、6年後にガザの最高指導者として、イスラエルの裏をかく工作を展開してきた。
イスラエル・米国の情報機関の動きにも通じており、ダイフ司令官と同様、捕獲・暗殺は容易ではない。しかし、暗殺された場合、ハマス側の痛手は極めて大きい。
首相と対立したモサド長官
他方ネタニヤフ首相は暗殺工作には消極的な態度をとり続けた。このためイランの核開発問題をめぐって、暗殺工作を展開した第10代モサド長官(2002~2011)のメア・ダガン氏(1945~2016)は首相と激しく対立した。
ダガン元長官は2011年1月8日、テルアビブ北部のモサド・アカデミーで離任会見し、首相に対する怒りをぶちまけた。「ネタニヤフ首相は自分自身のエゴで無責任に振る舞い、国家に災難をもたらす。選挙では選ばれるが賢明な人ではない」と非難した。
2002年に表面化したイランの核開発に対して、モサドはイランの主要な核・ミサイル技術者を特定、住所を突き止めた。彼らが職場に向かう自家用車に、バイクで並走した工作員が爆弾を仕掛けた。15人を狙い、そのうち6人を暗殺した。またミサイル開発の責任者とされるイラン革命防衛隊の将官を17人の部下とともに爆死させたこともある。
ダガン元長官らはこうした効果的な暗殺で核兵器の開発を止めることができると確信してきた。しかしネタニヤフ首相や当時のエフド・バラク国防相は、こうした秘密工作でイランの核プロジェクトを効果的に遅延させるのは不可能だと判断し、戦争を主張した。
冷戦期から続くモサドとCIAの緊密な関係
ダガン元長官らには彼らなりの哲学があった。「暗殺は全面戦争より道徳的」だというのだ。何人かの主要人物を押さえれば、戦争の選択は不要になり、数えきれないほどの双方の兵士および市民の命を救うことになる。イランへの大規模攻撃は中東全域の紛争につながる可能性がある。それでもイランの核施設を十分に破壊できないかもしれない。
実際、ダガン氏は首相の許可も得ないで、当時のレオン・パネッタCIA長官にそんな戦略的思考を説明した。それを受けて、バラク・オバマ米大統領は直ちにネタニヤフ首相に「攻撃するな」と戦争反対を表明したという。
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