2.中国の対台湾政策の変遷

(1)全般

 中国にとって台湾問題は、政権の正統性に関わる問題であると同時に、対米関係における中核的な問題でもある。

 中国は2つの体制が対峙する状態を解消すべく、台湾の武力解放や平和解放、そして平和統一という考えを台湾側に示しながら、時には武力による威嚇も含めて台湾統一の道を探ってきた。

 しかし、毛沢東から胡錦濤に至る政権は台湾統一を達成できなかった。

 2012年に胡錦濤政権の後を受けた習近平政権は、鄧小平政権期に始まる経済発展の成果を基礎にして「中華民族の偉大な復興という中国の夢」の名の下に対外的拡大路線を推進している。

 その具体的対象は現在のところ、南シナ海と東シナ海のように見える。

 だが、台湾が中国にとってチベット、新疆ウイグル両自治区と同様に、「核心的利益」を構成する最重要地域であり続けていることに何ら変化はない。

 それどころか、海洋強国を目指す中国にとって、西太平洋への出入り口であり、東シナ海と南シナ海を連接する海域に座する台湾の地政学的重要性はより大きくなってきている。

 以下、各指導者の対台湾政策について述べる。

(2)各指導者の対台湾政策

ア.毛沢東

 1949年に中国共産党は国共内戦において決定的勝利を収め、中華人民共和国を建国した。

 しかし中国国民党政権は台湾に逃げ込み、中華民国の体制を維持した。

 中国共産党は台湾の解放を目指していたものの、実際にはそれを達成する実力を持たなかった。

 解放軍は台湾解放に向けた準備段階として1949年10月に福建省沿岸の金門島攻略を目指し上陸したものの、中華民国国軍に大敗を喫し、台湾攻略は遠のいた。

 さらに1950年6月に朝鮮戦争が起き、米国が共産主義の拡張を防ぐために台湾海峡に第7艦隊を派遣し、台湾の国民党に対する支援を強化したことで、台湾攻略はほとんど不可能となった。

 1954年12月には米華相互防衛条約が締結され、台湾防衛への米国のコミットメントが条約化された。

 こうして、中国にとって台湾問題は、統一を完成するという問題であると同時に、冷戦の最前線が台湾海峡となったことで、米国による包囲網にいかに対抗していくかという問題ともなったのである。

 台湾を解放することはできないが、しかし大陸と台湾がそれぞれ別の国家として存在するという「二つの中国」を認めるわけにはいかなかった中国は、国際社会で台湾を孤立させることに重点を置くようになった。

 その中で重要となっていった論理が「一つの中国」原則であった。

「一つの中国」原則とは「世界には一つの中国しかなく、台湾は中国の一部分である。中華人民共和国は全中国を代表する唯一の合法政府である」という原則的立場のことである。

 1971年には国連代表権を中国が獲得し、台湾を国連から追い出すことに成功した。

 また1971~72年に起きた米中接近の過程において、中国側は台湾問題を重視し、「一つの中国」原則についての立場を堅持した。

 結果的に1972年の上海コミュニケの中では米中それぞれが自国の立場を併記するというかたちで、自国の立場をそのまま残し、さらに口頭了解のかたちで米国側に譲歩させることに成功した。