武装集団による銃乱射事件で多数の犠牲者を出し、燃え落ちたコンサートホールの一部(3月23日、提供:Russian Emergency Ministry Press Service/AP/アフロ)

 2024年3月22日夜、ロシアの首都モスクワ郊外の広大なショッピングセンター内のコンサートホールで、武装集団が観客を銃撃した。

 SNSの動画や目撃者の証言では、迷彩服を着た武装集団がステージや客席から侵入し、逃げ惑う観客を次々と銃撃した。

 ホールは約6200席が満席だったとされ、大きな惨事になった。

 22日には「イスラム国ホラサン州」が、通信アプリ「テレグラム」に犯行声明を投稿した。

 そこでは、「多くのキリスト教徒」が集まっている場所を攻撃し、「数百人を殺傷して大規模な破壊を引き起こした」と主張した。

 ロシア当局は事件直後、実行犯4人を含む容疑者11人を事件に関与した疑いで拘束したと発表していた。モスクワの裁判所は24日夜、実行犯とされる容疑者4人の逮捕、勾留を認めた。

 地元メディアによると実行犯とされる4人は10~30代で、全員が中央アジアの旧ソ連構成国タジキスタンの出身という。

 ロシア緊急事態省は3月27日、襲撃事件の死者数が143人になったと発表した。AP通信などによれば負傷者は285人に上っている。

 他方、米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は3月22日、米国が、「イスラム国」系の勢力であるアフガニスタンの「イスラム国ホラサン州」によるモスクワでの攻撃計画の情報を入手し、ロシア側に伝えていたと報じた。

 これに関連して、在ロシア米国大使館は3月7日に「モスクワでコンサートを含む大規模な集まりを狙った過激派の差し迫った(攻撃)計画があるとの情報があり、大使館は注視している。米国市民は今後48時間は大規模な集まりを避けるべきだ」と警告していた。

 なぜ、プーチン政権は米国からテロに関する情報提供を受けながら、テロ攻撃を防げなかったのかという疑問が生じる。

 ウラジーミル・プーチン大統領は2月19日の演説で、米大使館の「警戒警報」について、「社会を威嚇し、不安定化させる」ことを目的にした米欧諸国による「明白な脅迫だ」と一蹴していた。

 今回のプーチン大統領の対応については、大きく2つの可能性が考えられる。

 1つ目は、判断ミスである。

 テロリストが、モスクワの厳しい警備を回避して、これほどの大規模なテロを実行できるとは思わなかった。そのため警備強化を発令しなかった。

 2つ目は、米側から「警戒警報」があったことを公表せず、テロリストに攻撃を実行させ、その責任をウクライナに転嫁して、国民のウクライナに対する敵意を高揚しようとした。

 すなわち、プーチン大統領は自国民を欺き、見殺しにしたのである。

 この事件では、「イスラム国のホラサン州」が犯行声明を出しているにもかかわらず、プーチン氏は、ウクライナの関与を主張し続けている。

 プーチン氏は、テロリストがウクライナへ逃亡しようとするところを拘束したと述べ、「そこには国境を越えるための隙間が用意されていた」と主張した。

 3月26日、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は、「モスクワ銃乱射事件の被告が当初ウクライナではなく、ベラルーシに逃げようとしたと述べた。ベラルーシ当局が直ちに国境に検問所を設置したと指摘。『そのため(武装グループは)ベラルーシに入れず、ウクライナとロシアの国境地帯に向かった』と説明した。また、プーチン氏と共に眠らずに連絡を取り合ったと明かした」(ロイター2024年3月27日)。

 プーチン氏の盟友ルカシェンコ氏によって、「プーチンの嘘」がばれてしまった。

 さて、今回のモスクワ銃乱射事件は、ロシア国内で発生したテロとしては、2004年9月にロシア南西部の北オセチア共和国の中学校で起きた、人質解放時の戦闘で330人を超す死者を出した「ベスラン学校占拠事件」以降で最悪の規模となった。

 今回の事件にはいくつかの疑問点がある。

 なぜ、「イスラム国ホラサン州」は、ロシアを攻撃したのか。なぜ、実行犯はタジキスタン人であったのか。そもそも、「イスラム国」は壊滅していたのではないか、などである。

 以下、初めに「イスラム国」の出現から壊滅までの歴史について述べる。次に、「イスラム国ホラサン州」の動向について述べる。

 次に、タジキスタンのテロ情勢等について述べる。最後に、モスクワ襲撃事件への対応の失敗と今後想定される展開について述べる。