「無謬神話」が生み出した「役所の罪と罰」

 今回の袴田事件第2次再審請求で、主要な役割を果たしたのは、敬愛する郷原信郎弁護士も強く主張する味噌漬け実験報告書の評価です。

「味噌漬け」されていたというのは、犯人とされた袴田氏が犯行時に身に着けていたとされる「血に染まった衣類」のことです。

 事件発生から1年以上経った1967年8月31日になって味噌樽の中から発見され、警察・検察側が証拠として提出。

 1968年5月に静岡地検の岩成重義検事が死刑を求刑。

 同9月11日、静岡地裁 石見勝四裁判長は、証拠から無罪と判断される案件ながら、世論とマスコミを刺激することを恐れて一審死刑を宣告

 ただし、大半の提出証拠については任意性が疑われ、証拠採用されませんでした。

 さらに、「捜査方法は法の精神にもとり」と警察官、検事に対しても容赦なく批判が展開されています。

「本件捜査は被告人に対して連日10時間から14時間にわたって執拗に自供を迫り、物的証拠に対する捜査をおろそかにした結果1年以上も後に重大な証拠が発見された。こうした操作方法は法の精神にもとり憲法第38条違反の疑いもあり無法者同士の争いとして大いに批判され反省されるべきである」(石見裁判長)

「無法者同士の争い」というのは、検察、警察と容疑者のやり取りを指して言っているわけで、それは「批判されるべきである」と1968年時点ですでに指摘しているわけです。