現場は大混乱、過労死が疑われる死者も

 議論が迷走する中、2月、韓国政府は、来年度から医学部定員を3058人から5058人に増やし、2035年までに最大で1万5000人に増員する方針を打ち出した。これで人口10万人あたりの医学部卒業生数は4.7人となり、OECD加盟国で下から10番目程度となる。そして、この調子で増員を続ければ、2035年にはOECD加盟国でトップとなる。ただ、これは無理筋だ。1年間で、前政権と比べ4倍の増員を一気にやるのは不可能だ。

 当然のごとく、医療界は猛反対した。韓国各地の研修医が一斉に辞表を提出し、3月上旬には研修医全体の9割にあたる約1万2000人が職場を離脱した。

 研修医が勤務するのは、基本的に地域の基幹病院だ。韓国では、基幹病院の勤務医に占める研修医の割合は約4割である。研修医が一斉に職場を離れたことで、医療現場は大混乱に陥った。

 残された医師たちには大きな負担がかかる。3月24日には、研修医に代わり診療業務を担っていた釜山大学病院に勤務する40代の眼科教授が脳出血で死亡した。韓国メディアは、「教授は先月の研修医集団離脱後に外来診療、当直、救急患者の手術まで担当し、周囲に疲労を訴えていたという」(韓『朝鮮日報』3月25日)など、過労死の可能性を報じている。

 3月25日、3000人を超える医学部教授が集団で辞表を提出し、さらに混乱は深まった。医学生たちも、一斉に医師国家試験の受験拒否や休学を表明するなど、このような流れに追随した。

 韓国の医療現場は大混乱に陥ったが、政府は方針を撤回しなかった。2月末には、ストライキなどを行った医師の自宅に警告書類を送り、3月から3カ月間の免許停止などの懲戒処分を実施した。そして、3月20日には、従来の方針どおり、来年度からソウル以外の地方の医学部の定員を約2000人増員する方針を決定したことを発表した。

政権による「人気取り」の側面もあるが……

 では、韓国の国民は、この事態をどのように見ているのだろうか。知人の韓国メディアの記者に聞くと、「どっちもどっちです」という。

 今回の医学部定員増が、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の政治的パフォーマンスであることは明らかだ。韓国では、4月10日に総選挙(一院制の国会議院選挙)が行われ、与党の「国民の力」は現有議席を割り、最大野党「共に民主党」が過半数を上回る議席を獲得した。

 尹政権の人気取りのため、「医師がスケープゴートにされた」(知人)というのが真相らしく、「来年度から4割の定員増と無茶苦茶な要求を突きつけて、あえて反発させようとした可能性すらある」という。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
中朝「親善の年」に「習近平」言及が増加、ただし「プーチン」はそれを上回る
より「ランドパワー化」するロシア―海のチョークポイントを考察する―
円安「再帰性」のギャップを叩いた為替介入、成功後も続く市場との神経戦