札幌で生まれ育った須藤早貴被告は当時新宿の賃貸マンションに一人で暮らしており自称モデルとして生計を立てていたとされている。が、実際は“パパ活”で年配男性を騙していたと見られている。
ドン・ファンと彼女が初めて会ったのは17年12月。知人女性の紹介で東京・羽田から南紀白浜空港に姿を現した早貴被告はドン・ファンに気に入られ、月100万円を支払う愛人契約を交わしたとされている。それが翌年2月8日に電撃入籍を果たし、早貴被告は戸籍上、野崎早貴となった。早貴被告21歳、ドン・ファンは76歳という55歳もの年の差婚であった。
ただ、ドン・ファン亡きあとに戸籍を「須藤早貴」に変えていたので報道では現在、「須藤早貴被告」と呼ばれている。
専門学校時代から“パパ活”で豪遊
ドン・ファンと結婚する前の早貴被告についてもう少し触れておこう。
札幌市内の高校卒業後、市内の美容の専門学校に通った早貴被告は、あまり学校には通っていなかったようだが、周囲の同級生たちにはお金に不自由しない生活をしていると自慢し、実際彼女のフェイスブックには度々海外旅行に出かけるような贅沢三昧の写真を掲載していた(事件後に削除されている)。それが“パパ活”によるものであることは後にドン・ファン事件の捜査員たちによって明らかにされた。
若い女性と繋がりたい年配の男性たちとある程度の“交際”をしながら金銭的な援助をしてもらうのがいわゆる“パパ活”だが、はち切れそうな肉体を武器に年上の男性を騙す早貴被告の手口によって後にドン・ファンも手玉に取られることになる。
専門学校を卒業した後は、上京し、アダルトビデオに出演したりもしていたという。