子どもも軽視された「愛妾の立場」
さて、道兼についてはこの連載でもたびたび解説しているが、表記はいつも「兼家と時姫の間に生まれた2番目の男子」としている。
「次男」と書いた方がすっきりして分かりやすいのだが、兼家には正妻格の時姫以外にも、多くの愛妾がおり、その間にも子どもがいる。そのため、正確には道兼は「次男」ではなく、諸説あるが、「三男」もしくは「四男」とされている。
妻以外にも妾がいたことについては、何も兼家が特別だったわけではない。ドラマでは、藤原為時が、病で死期が近い妾のもとに通う姿も描かれている。
そのため、「平安時代は一夫多妻社会だった」と誤解されがちだが、そうではない。平安時代においても、夫は原則的には、正式に結婚した妻とのみ同居しており、妾はただ男が訪れるのを待つしかなかった。生まれた子どもについても、妻との間に生まれた嫡子か、妻以外から生まれた庶子かによって扱いが大きく変わってくる。
今回の放送では、兼家が嫡子ばかり出世させることについて、財前直見演じる妾の藤原寧子(やすこ)が「あちらの若君方は着々と偉くおなりのようでございますが、道綱のことをお忘れなきよう」と、兼家に釘を刺すシーンがあった。道綱とは、兼家と寧子との間に生まれた息子のことだ。
当の本人である、上地雄輔演じる道綱は「高い位についても役に立つ自信ないし」と気にもしないが、そんなのんきな息子に寧子は「男は座る地位で育つのです」とハッパをかけている。兼家が道綱に肩もみを命じると、寧子が「肩なら私が。おどきなさい」と道綱にやらせなかったのは、せめてもの意地だったのだろう。妾やその間に生まれた子どもが、何かと軽視されがちだったことがよく伝わってきた。
そんな平安時代の婚姻事情を踏まえると、ドラマでのまひろと道長のやりとりもよく理解できる。「妻になってくれ」という道長に、まひろは「それは私を北の方にしてくれるってこと?」と問いかける。「北の方」とは正妻のことだ。
道長がまひろの問いかけに無言だったため、まひろが再度「妾になれってこと?」と聞くと、道長は「そうだ。北の方は無理だ。されど俺の心の中ではお前が一番だ」と抱きしめようとした。
だが、まひろは「心の中で一番でも、いつか北の方が……耐えられない」と拒否。道長が「ならばどうしろというのだ! どうすればお前は納得するのだ! 言ってみろ!」と、怒り、その場を立ち去ってしまった。
『源氏物語』では、容姿も性格も優れて、源氏最愛の女性でありながら、正妻にはなれずに苦しんだ「紫の上」という女性が登場する。ドラマでは、のちの『源氏物語』の創作につながっていきそうなシーンがこれまでもあったが、まひろはこの悲痛さえも物語へと昇華させていくのだろう。