『大鏡』でも父への不満をあらわにしている藤原道兼

 取り巻く家族という観点でいえば、藤原道長については、家族の方が目立っているくらいだ。

 野望を隠さず手段を選ばない藤原兼家、その兼家が長男として目をかけた道隆。そして道隆の弟であり、道長の兄である道兼は、花山天皇を出家させるという大役を担い、ミッションを成し遂げている。さらに「兼家に似ている」と自認するほど、策略に長けた次女の詮子(あきこ)……。

 いずれも、『光る君へ』が放送されるまでは、ほとんど注目されてこなかった歴史人物ばかりだ。どの人物も道長の生涯を方向づけるキーパーソンとして躍動しているばかりか、ストーリーの展開に応じて、おのおのに心境の変化が見られる。

 特に今回の放送で際立ったのは、道兼だろう。これまで父の兼家には絶対服従してきた道兼だが、花山天皇を出家させたにもかかわらず、長男の道隆ばかりが出世していることをおもしろくないと思ったらしい。

 史実においても、長男・道隆の勢いはすさまじく、寛和2(986)年6月22日、花山天皇が19歳で出家により退位すると、同年7月5日、34歳の道隆は三位中将から参議を経ることなく、一気に権中納言になった。その上、同日に詮子が皇太后になったため、皇太后宮大夫となった。

 さらに、7月20日に兼家が右大臣を辞職した際には、道隆は5人を追い抜き権大納言にまで出世する。その2日後の22日に一条天皇が即位すると、従二位となり4日後の26日に正二位へと、とんとん拍子に昇進を果たす。

 同月に3回も昇進するのは異例のことである。今回の大河ドラマでは「兼家は息子たちを露骨に昇進させていった」とナレーションがあったが、放送が始まるまでは、そのイメージは道長のほうにあったはず。道長の陰で目立たなかった兼家の権謀術数ぶりに着目したのは、今回の大河ドラマの新しさといえよう。

 今回の放送では、そんな具合に著しく出世した道隆に、道兼は嫉妬を隠さなかったが、「道兼も出世しているのだから、兄の昇進にそんなに葛藤するものなのか?」と疑問に思った視聴者もいるかもしれない。

 だが、平安朝後期成立の歴史物語『大鏡』によると、藤原兼家が永祚2(990)年に病死すると、道兼は関白に指名してもらえなかったことに怒り、四十九日の供養を欠席している。兼家から関白に指名された長男の道隆へのわだかまりは、以前からあったと考えるほうが自然だろう。

 不満を募らせる道兼の心情は、どう描かれるのか。一方、兄の道隆もまた、自身への嫉妬を隠さない弟の道兼にどう接するのか。ともに注目ポイントである。