(文:畠山理仁)
選挙ライターの畠山理仁氏は「全候補者に取材する」ことに25年以上こだわってきた。活動レポート『黙殺~報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い~』は第15回開高健ノンフィクション賞を受賞し、ドキュメンタリー映画『NO 選挙, NO LIFE』の“主役”にもなった。その愚直な手法は時に滑稽にすら映るが、何より自由を実感でき、民主主義社会に暮らす私たち「すべての人にメリットがある」と強調する。
選挙取材には「ハズレ」がない
私は選挙取材を四半世紀続けてきたライターだ。その私が選挙を取材するときに決めていることがある。それは「全候補者に接触するまでは記事を書かない」ということだ。私はこのルールを公平な選挙取材には必要なことだと考えてきたが、世間の受け取り方はまったく違っていた。
「全員に会うのは大変じゃないですか」
「どうしてそんな無駄なことをするのですか」
「当選する可能性が低い人を取材する意味はなんですか」
私の取材方法はかなり特殊なため、同業者からも珍しがられている。そのため私の選挙取材に対する密着取材も何件か引き受けてきた。ついには昨年末、『NO 選挙, NO LIFE』という映画にまでなった。
私が全員取材を続ける最大の理由は「すべての候補者が面白い」からだ。私は選挙以外のテーマも取材しているが、選挙取材には「ハズレ」がないと言い切れる。どこの現場に行っても新たな発見がある。「こんな人がいたのか!」という素晴らしい出会いがある。
選挙に出る人はみんな自由に活動し、いきいきとしている。私より年長の人も若々しい。そうした候補者を見ていると「私自身ももっと自由に生きていいのだ」と励まされる。だから私は選挙取材に飽きることがない。
私は選挙が大好きだ。しかし、そうでない人にも「候補者全員接触」を強くオススメしたい。投票先を決める前に全候補者を見ることは、すべての人にメリットがあるからだ。
「返品できない高い買い物」しかもかなり高額
選挙は「返品ができない買い物」だ。しかも、かなりの高額商品である。
今、私たち日本人は、収入の中から46.8%もの税金や社会保障費を納めている。国政選挙には毎回600億円を超える税金が経費としてかかっている。そのうえ、日本共産党をのぞく9つの国政政党には、年間315億円の政党交付金が支払われている。政党交付金だけで国民一人あたり250円の負担だ。つまり、私たちは普段から「民主主義のコスト」を負担し続けている。
それなのに、今の日本では半数近い有権者が貴重な一票を捨てている。もったいない。
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