幸いなことに、今は年収が10億円の人も、収入がゼロの人も、誰もが「同じ一票」を持っている普通選挙の時代だ。とても公平な制度であると同時に、非常に恐ろしい可能性を秘めた制度でもある。だからこそ、世の中を変えたい人も、変えたくない人も、自分の望む世の中を目指して「一票」を行使するしかない。自分の仲間を一人でも多く作った勢力が政治の主導権を握るのが民主主義だ。まだまだ誤解している人も多いが、選挙は競馬や競輪のように「誰が勝つか」を当てるゲームではない。「誰に政治を担当してほしいか」を一人ひとりが考えて、自分にしかできない決定をするものだ。
一方で、「日々の暮らしに忙しいから政治のことはわからない」という声が多いのも理解できる。だからこそ、もっと選挙の機会を有効活用してほしい。選挙に立候補する人は、あなたよりも長い時間をかけて政治のことを考えている人が圧倒的に多いからだ。
選挙に立候補する人は、その地域がどんな課題を抱えているのかを探り、問題解決のためのアイデアを常に考えている。他の地域の政策や事例についても勉強を重ねている。日々の生活に追われる私たちの代わりに政策に磨きをかけている。私たちは政治への監視をサボりがちだが、選挙のときにすべての候補者の主張をくまなく見れば、一気に政治に詳しくなれる。サボっていても、候補者の頑張りを見ればすぐに追いつける。
4年に1度行われる選挙は、「政策の見本市」「政策オリンピック」だと考えてほしい。「にわかファン」でも、すべての候補者を見れば目が肥えるし、高いレベルで政策を考えることができる。政治を楽しみ、大いに盛り上がることができる。
多様な候補者たちは私たちの写し鏡だ。だからこそ、一人ひとりの候補者を大事にしてほしい。無名の候補者を軽んじる社会は、無名の有権者である自分自身も軽んじられる社会を容認するのと同じだ。あなたの人生に意味があるように、他人の人生にも意味がある。世の中に無視されていい人などいない。そのことを強く意識してほしい。
もし、自分好みの政策が見つかれば、「応援したい」と思える候補者に伝えればいい。そうすれば、候補者がどんどん自分好みの候補者に成長していく可能性がある。「入れたい人がいない」という状況は自分で変えられる。自分好みの政策を打ち出してくれる政治家がいなければ、自分で立候補すればいい。これが民主主義の作り方だ。
世の中に「無駄な立候補」はない
選挙の際に行われる報道は、ほとんどが「主要な候補」についてのものだ。「主要候補」と「その他の候補」の基準はメディアが独自に決めている。しかし、報道に無視されがちな候補者の立候補を「無駄だ」と切り捨てることはできない。報道が「その他の候補」として切り捨てた候補者の政策が、当選した候補者によって実現した例はたくさんあるからだ。
たとえば2000年の長野県知事選挙には、「30人学級の実現」を訴えて立候補した草間重男候補がいた。草間氏は落選したが、その後、長野県では少人数学級実現に向けた動きが進み、2009年度には全県下で少人数学級が可能な体制が実現した。
2021年3月の千葉県知事選挙には、「生理の貧困問題の解決」を訴えた金光理恵候補がいた。金光候補は落選したが、この時の知事選挙で当選した熊谷俊人氏によって、千葉県では県立学校への生理用品無償配布が実現している。
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