小池氏は小泉政権で環境大臣や沖縄・北方担当大臣を歴任して政治家としてのキャリアを積んできた。2005年の郵政民営化の是非を問う郵政選挙では郵政法案に強硬に反対した小林興起衆院議員の選挙区の東京10区(豊島区や練馬区)に「刺客候補」として乗り込み大差で小林氏を破った。その後2008年には自民党総裁選に出馬して麻生太郎や、与謝野馨としのぎを削った。自民党総裁選に女性が立候補したのは小池氏が初めてだった。

 当時、自民党は苦境に陥っていた。

 2007年の参院選挙で民主党に大敗して参院での過半数を割り込み「ねじれ現象」を生じさせてしまった安倍晋三総理は、政権を手放し福田康夫総理に譲った。しかし「ねじれ」の状況は変わらず、民主党との大連立に失敗し今後の展望に自信を失った福田総理は辞任を表明。政権交代が現実味を帯び始めた時期であった。

本コラムは新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」の提供記事です。フォーサイトの会員登録はこちら

 この時、小池氏を後押しした1人が小泉元総理だ。元総理は周囲にこう語っていた。「民主党への政権交代の世論の期待を遮断するためには女性総理で対抗するしかない」。小泉氏らの支援を受け総裁選に挑んだものの大勢は麻生氏に流れ、小池氏は一敗地にまみれた。翌年の総選挙で自民党が大敗し政権交代を迎えると、小池氏は2016年に都知事選に出馬し、自民党と袂を分かつ。

 小池氏の政治経歴を振り返って見たが、小池氏が総裁選を戦った2008年と現在の自民党を取り巻く状況は非常に似ている。

 安倍派、二階派などの裏金問題は依然、自民党を揺さぶっている。

 検察は安倍派幹部の立件を見送ったものの幹部の処分を求める世論は根強く、自民党への風当たりは激しい。時事通信の1月の世論調査によれば自民党の支持率は前月比3.7ポイント減の14.6%で、これまでで最低だった。

 2009年7月の麻生政権下の15.1%を下回った。2009年7月と言えば、麻生総理が総選挙で民主党に敗れて政権交代を迎える直前だった。つまり、いまの岸田政権と自民党は政権交代前夜のレベルにまで落ちたと言える。

自民党内に起死回生の「女性総理」待望論

「地元に戻って痛感したけど、逆風は想像以上だ」。当選7回を数える大臣経験者は危機感を露わにした。これまでも安倍内閣での森友、加計、桜を見る会の問題や、菅内閣におけるコロナ対応等でも地元から厳しい意見が上がっていたが、それでもまだ自民党への愛のある叱咤激励と感じた。今回はそうではなく、「自民党に裏切られた」という有権者の失望や怒りを感じるというのだ。

 こうした空気を察知して自民党内では「ポスト岸田」をにらんだ動きが顕在化している。

 まず動いたのが麻生副総裁だ。「このおばさんやるね…少なくともそんなに美しい方とは言わんけれども…新しい人が育ちつつあるんだと思いますね。ぜひ女性、若い人、こういった人たちを、我々は育てねばならない」(1月28日福岡県内での講演)。容姿や年齢を揶揄したとして批判を浴びたこの発言の麻生氏の狙いは上川陽子外務大臣を「ポスト岸田」としてショーアップすることだったと見られている。

「図らずも麻生さんの思惑通りの展開になってきている」(自民麻生派関係者)

◎新潮社フォーサイトの関連記事
中国の「空気」が変わってきた
ウクライナ全面侵攻から2年の現在地(上)――何が変わったのか/米欧を「変えた」ウクライナ
ドイツ左派ポピュリスト「ヴァーゲンクネヒト」新党は極右の票を奪うか