(英エコノミスト誌 2024年2月17日号)

国家保守主義者は移民に対する敵意で票を集めることに成功している

国家保守主義は危険で、どんどん広がっている。リベラル派はこれを食い止める方法を見つけなければならない。

 1980年代に、ロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーは市場と自由に基づいた新しい保守主義を打ち立てた。

 今ではドナルド・トランプ氏やオルバン・ビクトル氏、西側政治指導者の様々な面々がその正統派の保守主義を取り壊し、その代わりに「アンチ・ウォーク(反意識高い系)」で、個人よりも国家の主権を優先する国家統制の保守主義を打ち立てている。

 こうした国家保守主義者は、共通のイデオロギーで結びついた思想家や政治家の独自ネットワークを持つ世界的な運動の一部として存在感を強めている。

 彼らは保守主義はもう自分たちのものだと思っている。実際、その通りかもしれない。

レーガンの保守主義とは全く別物

 その名前とは裏腹に、国家保守主義はレーガンやサッチャーの思想とはこれ以上ないほど遠くかけ離れている。

 大きな政府に懐疑的であるどころか、国家保守主義者は一般市民が人間味のないグローバルな潮流に悩まされており、国家がそうした人々の救済者になると考えている。

 レーガンやサッチャーとは異なり、主権を多国籍機関に託して共同管理することを嫌い、自由市場は一握りのエリートによって不正に操作されているのではないかと疑い、移民には敵対的な態度を示す。

 多元主義を、とりわけ多様な文化を尊重する考え方を蔑む。

 意識の高さやグローバリズムに毒された(と彼らが考える)制度や機関を壊すことばかり考えている。

 国家保守主義者は、進歩が続く明るい将来像を描くのではなく、衰退論にとりつかれている。

 保守思想家のウィリアム・バックリーはかつて、「保守主義者とは、歴史の前に立ちはだかって『止まれ』と叫ぶ者のことだ」と気の利いた指摘をした。

 それとの比較で言えば、国家保守主義者は革命論者だ。

 彼らは西側諸国をレーガンの言った「丘の上の光り輝く街」だとは思わず、没落前のローマだととらえており、頽廃・堕落し、野蛮な侵略に遭って近々崩壊するとみている。

 進歩に抵抗するだけでは飽き足らず、正統派の自由主義(リベラリズム)をも破壊したがっている。