(英エコノミスト誌 2024年2月3日号)
フェイスブックの誕生から20年経ち、ソーシャルアプリが大きな変貌を遂げている。
「フェイスブック」は2月4日に20歳になったのかもしれないが、物議と現金を引き寄せる磁石である様子は今も、生意気で何でも壊して回った10代の頃と何ら変わらない。
創業者のマーク・ザッカーバーグ氏は1月31日、有害なコンテンツの流布について米国議会の上院議員たちに説教された。
その翌日には、フェイスブックの運営会社である米メタが再び輝かしい決算を発表した。メタの時価総額は今や1.2兆ドルに達している。
しかし、ソーシャルメディアはそのサービスに病みつきになった人々からも批判的な人々からも間違いなく注目される一方で、非常に重大でありながらほとんど気づかれていない変化を遂げている。
デジタルな「街の広場」に異変
オンライン上のソーシャルネットワークの不思議な魅力は、個人間のやりとりをマスコミュニケーションと融合するところにあった。
ところが今、この合金が再び2つに分離しつつある。
友人からの近況報告は、知らない誰かから送られてくる賑やかすぎるテレビ番組のような動画に取って代わられた。
誰でも閲覧できる投稿は、どちらかと言えば電子メールに近い閉じられたグループ内での発信に切り替わっている。
ザッカーバーグ氏がデジタルな「街の広場」と呼ぶものは再構築されつつあり、問題を引き起こしている。
これは由々しき事態だ。
なぜなら、人々はソーシャルメディアを介してインターネットを体験するからだ。
利用者の数はフェイスブックだけで30億人を超えている。
人々は覚醒時間(起きている時間)の4分の1以上をスマートフォンなどモバイル端末の画面を眺めて過ごし、その半分近くをSNS(交流サイト)アプリが占めている。
また、インターネットが世界に広がったことで、人々がSNSアプリに費やす時間の合計も2020年に比べて40%長くなっている。
単に楽しいだけでなく、ソーシャルメディアはオンラインでの議論が白熱する場や選挙運動の道具にもなっている。
世界の半分の人々が重要な選挙で一票を投じる今年、ドナルド・トランプ氏やナレンドラ・モディ氏をはじめとする政治家たちはオンラインでの活動に忙しくなることだろう。