(英エコノミスト誌 2024年1月20日号)

アヨディヤに到着、支持者に手を振るモディ首相(2023年12月30日、写真:AP/アフロ)

大国になる夢の実現に必要なのは、放縦さではなく自制だ。

「政治と宗教を結びつけてはならない」

 インドの最高裁判所は1994年、同国の世俗憲法の決定的な説明だと当時考えられた判断のなかで、そのように裁定した。

 1月22日に行われるヒンズー教寺院の開所式を見守る数百万のインド国民にそう言ってやるといい。

 2億2000万ドルもの資金を投じて建立され、何かと物議を醸しているこの寺院で開所式を取り仕切るのは、インドのナレンドラ・モディ首相その人であり、式典は今年5月の選挙で3期目を目指す首相の非公式な選挙運動のスタートだ。

 この国に住む2億人のイスラム教徒と、数多くいる世俗主義のインド国民にとっては不安なことに、今回の式典は数十年に及ぶヒンズー至上主義者によるインド支配プロジェクトの一つの頂点になる。

 インド北部のアヨディヤに造られたこの寺院にモディ氏が姿を現す間にも、同氏の任務のもう一つの柱――インドの並外れた近代化――はハイペースで進んでいく。

 この国は世界の主要国のなかでは経済成長率が最も高く、すでに世界で5番目に大きな経済規模を誇る。グローバルな投資家はインフラ整備ブームと技術の高度化の進展を歓迎している。

 モディ氏はジャワハルラル・ネール以来の大物指導者になりたがっている。同氏が掲げる国の偉大さのビジョンでは、宗教に加えて富も重要なポイントだ。

 危険なのは、傲慢なヒンズー至上主義が経済における首相の野心の実現を妨げることだ。

アヨディヤのヒンズー寺院が象徴すること

 アヨディヤの奇妙な象徴性を理解するには、時代を少しさかのぼらねばならない。

 モディ氏が率いるインド人民党(BJP)はかつて非主流派の政党だったが、この地に建っていたイスラム教寺院(モスク)について1990年に運動を起こしたことで世間にその名をとどろかせた。

 1992年にはヒンズー教徒の活動家を集めてこのモスクを文字通り破壊し、南アジア各地でヒンズー教徒とイスラム教徒を巻き込んだ暴動のきっかけになった。

 モディ氏が開所式に参加する豪華なヒンズー教寺院は、その破壊されたモスクの跡地に建てられている。

 多くのヒンズー教徒に言わせれば、これは過去の過ちの埋め合わせだ。というのは、この土地はヒンズー教の神話に登場するラーム神の生誕地でもあるからだ。

 アタル・ビハリ・バジパイをはじめとする過去のBJPの指導者たちは主流派の支持を得るために、党のイデオロギーであるヒンズー至上主義を強調しないようにしていた。

 しかし、グジャラート州首相だった2002年に反イスラムの暴動に関与した(後に裁判所で無罪とされた)ことがあり、その後に政権を握って10年になるモディ氏はもう、あまり自制していないようだ。