ガザの避難民を収容しているテントCAMP。パレスチナ問題は解決の糸口が見えない状況にある(写真:ロイター/アフロ)ガザの避難民を収容しているテントCAMP。パレスチナ問題は解決の糸口が見えない状況にある(写真:ロイター/アフロ)

 パレスチナのガザ地区を統治するハマスとイスラエルの間では、戦闘休止も模索されているものの、双方の合意には至ってはいない。ハマスは恒久停戦を求めているが、2024年2月8日現在、イスラエルはハマスの壊滅を目標としガザへの攻撃をやめようとはしない。

 なぜイスラエルとパレスチナの闘いは終わらないのか、終わらせるには何が必要か。『ガザ 日本人外交官が見たイスラエルとパレスチナ』(幻冬舎)を上梓した、元外交官で1998年から2001年まで在イスラエル日本国大使館とガザ日本政府代表事務所に勤務した中川浩一氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

──どのような経緯で、中東、特にイスラエルとパレスチナにかかわるようになったのでしょうか。

中川浩一氏(以下、中川):私は1994年に外務省に入省したのですが、入省半年前の1993年10月に「アラビア語を担当するように」という打診がありました。それまでアラビア語なんて全く知りません。どこの地域で話されているのかすらわからない、私にとっては未知の言語でした。

 入省後はアラビア語の研修のため、1995年から1998年にかけてエジプトに滞在しました。エジプトの隣はイスラエルです。そしてエジプトは、現在のパレスチナ自治区であるガザ地区にも隣接しています。

 エジプト滞在中、私はエジプト人たちがイスラエルとパレスチナについて、盛んに話題にしているのを耳にしました。そうなるとやはり、イスラエルとパレスチナに興味が湧いてきます。

 実際に自分の目で見て確かめようと思い立ち、1996年7月にエルサレムにあるイスラエルのヘブライ大学のサマーコースに参加しました。サマーコースの講義がない週末には、パレスチナの領土であるガザ地区やヨルダン川西岸に足を運びました。

 ガザの難民キャンプでは、ムスタファさんというお爺さんに出会いました。まだカタコトのアラビア語しか話せない私に対し、彼は自身の半生を話してくれました。

 もともとは現在のイスラエル領土の出身であること。1948年に第一次中東戦争が勃発し、難民としてガザにやってきたこと。いつかは故郷に戻りたいということ。

 ムスタファさんの気持ちもわかる一方、私はサマーコースに参加中、イスラエルに滞在していました。当然、イスラエル人の友人もいます。彼らの中にはパレスチナ人、ハマスによるテロで自分の家族を失ったという人もいました。

 イスラエルとパレスチナの問題の根底を知りたいという気持ちから、私はイスラエルとパレスチナで働くことを願い出ました。そして希望がかない、1998年から2001年まで、在イスラエル日本国大使館とガザ日本政府代表事務所に勤務したのです。

──本書でたびたび出てくる「オスロ合意」とはどのようなものですか。