頼清徳氏が勝利した台湾総統選では、ダークホースとみられていた台湾民衆党の柯文哲氏も一定の支持を得た(写真真:共同通信社)

 2014年1月13日に台湾総統選挙が行われた。国民党の侯友宜氏と民進党の頼清徳氏の一騎打ちかと思われたが、第3党の台湾民衆党の柯文哲氏が25%を超える票を獲得。総統選出とはならなかったが、存在感を示した。

 日本では、台湾民衆党や党首である柯文哲氏、そしてその政治的主張は大きく報道されない。柯文哲氏とは何者なのか、どのような政治思想を持つのか、今後も台湾民衆党は躍進を続けるのか──。台湾出身で、東京大学東洋文化研究所特任研究員を務める黄偉修氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

──2014年1月13日に行われた台湾総統選で、台湾民衆党の柯文哲氏が25%の票を獲得しました。柯文哲氏とは、どのような人物なのでしょうか。

黄偉修氏(以下、黄):政界入りする以前、柯文哲氏は台湾大学医学部附属病院で医師として働いていました。体外式膜型人工肺(ECMO)を台湾に初めて導入した実績などから、医師として高い評価を得ています。

 柯文哲氏の政界とのかかわりは、1994年の台北市長選挙から始まったと言われています。

 民進党の陳水扁氏が市長選に出馬した際、柯文哲氏は陳氏の医学界後援会で幹部を務めていました。2000年の総統選に陳水扁氏が出馬したときも、柯文哲氏は台湾大学病院内の陳氏の後援会会長を務めました。

 また、2012年に陳水扁氏が政治塾・ケタガラン(凱達格蘭)学校を創設すると、柯文哲氏は入塾。そして、2014年の台北市長選に出馬して当選した──というのが彼のキャリアです。

 柯文哲氏が政界入りを決意したきっかけは、2011年に台湾大学附属病院で起こった医療事故です。事故の内容は、エイズ感染者の臓器を誤って5人に移植してしまったというものでした。

 監察院は、この事故の原因は臓器移植の責任者である柯文哲氏の管理が行き届いていなかったことであると認定して弾劾。これに対し、柯文哲氏は「捜査過程には手続き上の正義がなかった」などと、当局を非難しました。

 柯文哲氏は、この事件によって、2014年に台北市長選挙に出馬することを決意したと言われています。

 2014年の台北市長選挙の際、柯文哲氏は青(国民党のシンボルカラー)でもなく緑(民進党のシンボルカラー)でもない、中間路線を主張しました。それが、彼が今、民衆党のシンボルカラーとして使用している白色のゆえんです。

 先ほど申し上げたように、柯文哲氏はもともと民進党支持者であり、台湾独立を主張していました。ただ、政治家になると中国との和解を主張し始めた。また、2018年に台北市長に再選を果たしてからは、総統選出馬を考えるようになりました。

 台湾で総統選に出馬するためには、直近の国政選挙で5%以上の得票を得た政党からの推薦が必要です。そして、政党からの推薦を得る際には、推薦政党は直近の国政選挙での得票数が5%以上でなければなりません。

 別の方法として、前回総統選挙の有権者の1.5%にあたる人数の署名を中央選挙委員会に提出し、出馬することも可能です。ただ、これはかなりお金がかかる。そこで柯文哲氏は、総統選を見据えて2019年に民衆党を立ち上げました。