井筒俊彦は日本で始めてコーランを紹介した
井筒俊彦は日本で初めてコーランを紹介した(写真:ロイター/アフロ)

 1993年、日本を代表する謎多き知識人、井筒俊彦が亡くなった。30カ国語を操り様々な学問を学び、それらをつなぎ合わせて巨大な思想を生み出した規格外の知の巨人は、イラン王立哲学アカデミーでも教鞭を取り、神秘主義に関わる世界各地の知の巨頭が集うエラノス会議にも鈴木大拙に続く2人目の日本人として招待された。

 そのあまりにも深く広大な世界観によって、今も知識人や芸術家たちを魅了してやまない井筒俊彦とは何だったのか。『井筒俊彦 起源の哲学』(慶應義塾大学出版会)を上梓した文芸評論家の安藤礼二氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──言語学者、イスラム教の研究者、神秘主義の研究者、哲学者など井筒俊彦には様々な肩書があります。井筒俊彦とはいったい何者なのでしょうか。

安藤礼二氏(以下、安藤):少し間接的な答え方になりますが、私は文芸批評という立場から、民俗学者であり国文学者でもあった折口信夫の研究をまず先に始めました。折口信夫は民俗学と国文学の交差するところで、何よりも言葉を重んじた人でした。

 ここで言う「言葉」とは、日常的に使われる意味を伝達する手段としての言葉ばかりではなく、意味を生み出して同時に破壊してしまうような、ある種の強烈な力を持った言葉です。それは聖なる言葉であり、詩的な言葉です。私はそういった言葉の探究者として折口信夫を捉えてきました。

 折口は國學院大学と慶應義塾大学で教鞭を取りました。その特異な言語学がどういう方向に進んだのかと辿っていく過程で、折口から直接学んだ井筒俊彦という人物が浮かび上がってきました。井筒は学生時代に折口の講義を受けていたのです。

 そこで、折口信夫に導かれる形で井筒俊彦の書いた本を読んでいくと、井筒も折口の営為を引き継ぐように言葉の探究をしていました。そこで問題とされている言葉もまた「詩的な言葉」だったのです。

 単純に「翻訳した」という言い方をすると不正確なのですが、井筒俊彦はイスラム思想史の研究者で、コーランを初めてアラビア語から日本語に解釈して紹介した人として知られています。

 ではなぜ、極東の国、日本に生まれた人間がコーランにこれほど関心を持ったのか。それはコーランが神の言葉だからです。

生前の井筒俊彦生前の井筒俊彦(写真:Gmk35298, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)

 神が一人の人間を選び、預言者(神の言葉を預かる者)としてその人の口を借りて言葉を発する。まさに究極の聖なる言葉です。それは実際に歴史の中で起こったことであり、いまだに世界を揺り動かしている。聖なる言葉によって現実が転覆されている。

 だからこそ、井筒はコーランを選んだのであり、その根底には言葉の探究というより本質的な目的があったと思います。

 つまり、イスラムに興味を持ったから預言者を研究したのではなく、預言者に興味を持ったから、預言者がどういう場所に、どのような現れ方をしたのか、イスラムを通して研究した──。これが井筒のイスラム研究のアルファでありオメガです。

 井筒は30カ国語を操ったと言われ、研究対象を広大と言えるほど大きく設定した人ですから、彼が何をしたのか一言で説明するのは難しい。でも、彼の研究に常に通底していたのは「言葉の探究」だと思います。世界各地で多様に分かれた言葉の根源を問い続けた人でした。

──井筒俊彦は、著書『意味の深みへ』の中で「言語アラヤ識」について説明しており、安藤さんはその核心部分を本書で引用されています。「意味」と「意味可能体」という言い方で井筒俊彦が説明した「アラヤ識」とはどのようなものでしょうか。