拉致被害者の早期救出を訴える集会に参加した横田滋・早紀江さん夫妻と曽我ひとみさんら。2013年11月当時の写真(写真:共同通信社)拉致被害者の早期救出を訴える集会に参加した横田滋・早紀江さん夫妻と曽我ひとみさんら。2013年11月当時の写真(写真:共同通信社)

 2002年10月15日、小泉政権下、北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国した。それ以降、帰国できた拉致被害者はまだいない。「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」として警視庁がリストアップしている人は871人いるが、この内、正式に拉致されたと認定される人の数は、帰国した5人も含め17人にとどまっている。

「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」のリストの中には、かつて「プルトニウム四天王」の一人と言われ、日本の核燃料開発事業の最前線にいたエリート技術者も含まれている。『消えた核科学者 北朝鮮の核開発と拉致』(岩波書店)を上梓したジャーナリストでTansa 編集長の渡辺周氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──どのようにして「消えた科学者」竹村達也さんについて知ったのでしょうか。

渡辺周氏(以下、渡辺):2012年の夏、福島第一原発の事故後に私は朝日新聞の記者として、原発の取材をしていました。その中で、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現日本原子力研究開発機構)OBの科学者を取材する機会がありました。

 取材を終えた後に、その科学者の方が「実はずっと気になっていることがある」と言って、この方のかつての上司だった核科学者の竹村達也さんが1972年に失踪した話を私に打ち明けたのです。

 竹村さんが失踪した後、茨城県の東海村にある動燃の事業所に勝田警察署(現 ひたちなか警察署)の刑事が職員の聴取にやってきました。捜査にあたった刑事が、竹村さんの部下だったこの科学者に「北に持っていかれたな」と言ったそうです。

 1972年時点ではまだ、北朝鮮が日本人を拉致しているということは一般に知られていませんでした。ですから、その時点では「北」の意味がよく分からなかったそうです。ただ、後に北朝鮮の拉致問題が世の中で語られるようになり、竹村さんの同僚たちもその意味に気づいたそうです。

 北朝鮮はミサイル実験を繰り返すし、核兵器も持っています。国際社会を脅かしている。もし竹村さんの持つ知識が北朝鮮の核開発に利用されているとしたら、こんなに辛いことはない。「だからこそ真相が知りたい」とその方は私に相談したのです。

──竹村さんが勤めていた動燃とは何でしょうか。

渡辺:原子力研究を担う国策会社です。

 動燃には「核燃料サイクル」という大きなミッションがありました。原発で燃料を燃やすと、内部でプルトニウムが発生する。そのプルトニウムをリサイクルしてまた使うというミッションです。

 日本が第二次大戦の時に戦線を拡大した背景には、エネルギーが自給できないことに対する危機感がありました。そんな日本にとって、プルトニウムを再利用できれば、それは大きなことです。

 しかも、日本は使用済み核燃料からプルトニウムを抽出するばかりではなく、高速増殖炉と言って、原子炉を稼働させながら、その中でプルトニウムを増やしていく技術も確立しようとしました。この技術を実現すれば、ずっと燃料を抽出することができるようになります。「夢の原子炉」と言われました。

 日本政府は鼻息荒く高速増殖炉の開発に取り組んで、「もんじゅ」を稼働させようとしました。そのために法律まで作って、総理大臣直轄の組織として立ち上げたのが動燃です。

 ところが、事故や事故情報の隠ぺいといった不祥事が続き、動燃は組織改編を繰り返しました。その後、2005年に日本原子力研究所と統合され、日本原子力研究開発機構(JAEA)になったのです。

旧動燃の高速増殖炉「もんじゅ」(写真:共同通信社)旧動燃の高速増殖炉「もんじゅ」(写真:共同通信社)
再処理を待つ使用済み燃料(写真:共同通信社)再処理を待つ使用済み燃料(写真:共同通信社)
青森県六ヶ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(写真:共同通信社)"青森県六ヶ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(写真:共同通信社)

──竹村さんは「プルトニウム四天王」の一人に数えられるほどの人物です。核科学者としては相当なエリートだったという印象を受けました。