表面的な「金太郎飴」批判、強さの本質は「多様性」にあった

 筆者が朝日新聞記者として「トヨタ番」になったのは1995年で、それ以来、取材を通じてトヨタを観察してきた。今から振り返ると、筆者が担当になった頃のトヨタに対する世間の評価は今ほど高くなかった。

 利益をしっかり稼ぐ会社であるとの認識は当時も変わらなかったが、世間には「社員の言うことが皆同じで金太郎飴体質の会社だ」とか、「下請けをいじめている」といったネガティブな評価もかなりあった。

記者会見で記者を指名する豊田章男会長(写真:共同通信社)

 しかし、愛知県豊田市に住んで地べたを這いながら取材をしていた筆者は、トヨタやグループ関係者に知己を得て、公私での付き合いが増え始めると、世間一般のトヨタに対するネガティブな評価は、トヨタの本質を知らない皮相的な批判だと感じるようになった。

「金太郎飴批判」については、議論して組織の方向性が一度決まると、全社員が一丸となって同じ方向に向かって怒涛のように走るため、表面的には多様な考え方が組織内にないように見えたから出たのだろう。こうしたトヨタの様子を見た競合他社の幹部は「巨象が100メートルを9秒台で走るイメージ」とたとえた。

 ただ、当時のトヨタには重要なプロジェクトを始める場合には、社内で徹底議論してから決める風土があり、社内で多様な意見を戦わせながら「最適解」を見出していた。その議論のプロセスを見ていれば、とても「金太郎飴」とは言えなかった。トヨタが実行するスピードが速いのは、組織内で徹底した本質的な議論を踏まえ、現場がプロジェクトの目的や求める成果を消化した上で進むからだと感じるようになった。

 今は議論よりも実行を重視すべき時代になったとはいえ、多様な意見がぶつかり合うことこそ、多くの組織が追求している「ダイバーシティー」の本質に他ならないと思う。