「公開討論で討議したい」と語っていた竹倉氏の反応
──竹倉さんの反応はいかがですか? 竹倉さんは刊行後のインタビューで、「本書で展開されている仮説に異論がある方がいるとしたら、ぜひ公開討論で討議したいところです」(『サイゾー(2021年5月29日)』の記事)とおっしゃっていました。
望月 それが、討議を申し込みましたが、すげなく断られてしまいました。最初から完璧な仮説ってほとんどないはずなんです。いろんな方面から、いろんな意見や指摘を受けて磨かれたほうが、竹倉さんの説にとっても意味があるのではないかと僕は考えていますが、寂しいものです。
──では、読者などから『土偶を読むを読む』への批判などはありますか?
望月 今のところクリティカルなものはほとんどありません。便乗だ、嫉妬だ、文体が嫌いだ、と嫌味なことを言われる方はSNSなどで散見しましたが、個別の検証について何か発展的な注文や指摘があるというようなことはなく、読めば身も蓋もなく『土偶を読む』の検証が不十分で破綻していることがわかるはずです。たとえ『土偶を読む』で納得した人であっても。
そして、痛しかゆしですが、この本が出たことで『土偶を読む』がまた少し売れているようです。『土偶を読むを読む』は、『土偶を読む』を読まないとわからないということはありませんが、セットで読めば面白い読書体験になると思っています。
──『土偶を読むを読む』は、前半では『土偶を読む』の検証をしていますが、後半は、土偶・縄文研究者の対談やインタビュー、「専門知」の役割についてなど、論考が広がりをみせ、土偶に興味のない人にも読み応えがあると思います。最新の研究が世に知られていないことを専門家の方が自己批判する場面も出てきて、「専門知」とは何かを考えさせられます。
望月 批判ばかり読んでいると疲れてくるし、書いている方もそれは同じです(笑)。間違いは間違いだと言いたい、というのが最初の原動力ではあったのですが、それだけだと疲弊してくるので、この本の執筆を、もっと大きな機会として捉えようと考えました。考古学とはどういう学問なのか、いまどういう研究がされているのか、ひいては「縄文ってこんなに面白いよ」ということを伝えたいなと。
また、専門知は社会とどうつながるべきなのか。『土偶を読む』で明らかになったこの問題を、考えてもらいたいと思いました。
実はここからが本番なのかもしれません。