2021年に刊行されるやいなや、NHKをはじめとするメディアや著名識者が絶賛、ベストセラーとなり、サントリー学芸賞を受賞した『土偶を読む』(竹倉史人著、晶文社)。土偶は人ではなく、植物をモチーフにしている、という新説を提示したこの本は、土偶解釈の大胆さやユニークさとともに、専門家や専門知に果敢に挑戦したことが高い評価につながった。考古学の専門家ではない竹倉氏が、考古学の権威と闘うというストーリーが、識者や読者の共感を得たのだ。
この本へのいわば“アンサー本”が、今年、専門家の立場から出た。縄文時代をテーマにした雑誌『縄文ZINE』の編集人・望月昭秀氏と9人の考古学研究者らによる『土偶を読むを読む』(文学通信)である。望月氏らは、竹倉説が「皆目見当違い」であることを最新の研究に基づいて論証したうえで、自由な発想は歓迎すべきものだが、専門知には専門知の役割があることを示す。
視野が狭く難しいと捉えられがちな専門知。対して、専門外の発想は自由で柔軟とされやすく、わかりやすいストーリーが加わればいっそう魅力的だ。だが、我々が生きる複雑な社会に必要なのは、そのどちらかだけではないはずだ。専門知を軽視した先に待っているものとは。望月氏のインタビュー【後編】をお届けする。
【前編】「ベストセラー『土偶を読む』の反論本著者が語る検証の杜撰さ、メディアの責任」を読む
専門家は怒らなければいけないと思った
──『土偶を読む』があれだけ評価された理由の一つに、〈(考古学界の)権威と闘ったこの苦難のストーリーがあった〉と書かれています。
望月昭秀氏(以下敬称略) といっても、竹倉さんの本の中には、専門知批判といったことはそれほど強く書いていないんです。でも、出版後のインタビューなどで徐々に強く主張されるようになっていき*注、サントリー学芸賞ではなぜかその点が大きく評価されたようです。
※注:〈『土偶を読む』をこのようなかたちで世に問うことになった背景には、実は、3.11の原発の問題をきっかけに生まれた専門知に対する不信感があります〉(朝日新聞GLOBE+/2021.07.22〈『土偶を読む』の裏テーマは専門知への疑問 「素人」と揶揄する風潮に危機感〉の記事の中での竹倉氏の発言)
──サントリー学芸賞では、佐伯順子同志社大学教授が以下のように評しています。これについて、望月さんはどう感じましたか?
この新説を疑問視する「専門家」もいるかもしれない。しかし、「専門家」という鎧をまとった人々のいうことは時にあてにならず、「これは〇〇学ではない」と批判する“研究者”ほど、その「○○学」さえ怪しいのが相場である。「専門知」への挑戦も、本書の問題提起の中核をなしている。
望月 竹倉さんの新説については、僕の知る限り、疑問視する専門家しかいない状態です。その理由はこの本(『土偶を読むを読む』)に書いた通りです。だからこの言葉を聞いて、専門家は怒らないといけないと思いました。僕は、いわゆる専門家という立場ではありませんが、長年縄文に関わってきた人間として、「えーっ!考古学めちゃめちゃ言われてるじゃん!」と思いましたね。
──『土偶を読む』に対して、なぜ研究者などの専門家がすぐに批判しなかったと思われますか?
望月 まず、そもそも『土偶を読む』が一般書というジャンルから出ていて、学術という俎上に上がってこなかったことが大きかった。しかしそれ以上に検証したり批判したりするには相応の時間とカロリーを消費します。専門家だって忙しく、自分の仕事をしながら検証するのは大変だという状況があります。それから、たくさん出てくるトンデモ説を一つひとつ検証していてもキリがない、という理由もあると思います。
ただし、【前編】でも述べたとおり、この本については、批判せざるを得ないと僕は思いました。すごく売れ、子供向けの図鑑(小学館の『土偶を読む図鑑』)も出たことで、大きな社会的影響力を持ったからです。それに考古学界そのものについても、誤解を受けそうな批判もされていたからです。