研究者でないからこそ、さまざまな研究を「横断」できる

──『土偶を読むを読む』は、編者を望月さんが務めました。アカデミズムの研究者ではない望月さんが中心となって批判本を編んだのはなぜでしょうか。

望月 今回の件は少し複雑な事情がありました。というのは、『土偶を読む』がさまざまな場所で評価されたポイントがその説の正当性よりも、考古学が権威的だから『土偶を読む』の説を認められないのだ、というパラドックス的な評価になってしまっていて、専門家だけで批判すると、出版後にどういったハレーションが起きるのか予測できなかった。

 また、『土偶を読むを読む』も、学術書ではなく、『土偶を読む』と同じ一般書で出すことも意味がありました。学術と読者をつなぐ存在として僕のような研究者ではない立場から編集、執筆することも「アリ」だなと思ったからです。検証批判を真面目な文体でやりすぎると殺伐としすぎてしまうという心配もありました。だからなるべく砕けた文章で脱線しながら楽しく読んでもらえるような検証にしたかったのです。

『土偶を読むを読む』より(55ページ引用)

 また、研究者ではないので、研究者の研究を取材という形で「横断」することもできる。そういう強みがあると考えました。

『土偶を読むを読む』では、竹倉さんの説は学問としては全面的に認められない、という結論を出しました。言ってみればキツイ結論になったので、バリバリの研究者ではなく、僕くらいの存在が出てきて倒すくらいがちょうどよかったのかなと思っています。

──後半にはさまざまな研究者が登場します。その中には、竹倉さんがインタビューで名前を出している山田康弘教授(東京都立大学)も登場しますが、どのように人選されたのでしょうか?

望月 山田先生のほか、『土偶を読む』で竹倉さんが何度か引用されている金子昭彦先生(岩手県立博物館)にも執筆いただきました。それから、竹倉さんは人類学がご専門なので、人類学と考古学の関係を吉田泰幸先生(盛岡大学)にまとめていただいたり、普段、土偶を近くで見ている方の話を聞いたりもしています。『土偶を読む』のいわばステークホルダー的な方に登場いただいたという感じです。

 また、前半の竹倉説の検証だけだと、そこに興味のない人には益のない本になってしまいます。土偶や縄文研究がいまどのような地点にあるのか。この一冊で、それが掴めるような本にしたいとも考えました。