古代都市の遺跡・遺構が数多く残るメキシコ。かつてメキシコに存在した3つの古代文明にスポットを当てた展覧会「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」が東京国立博物館にて開幕した。

文=川岸 徹 写真=JBpress autograph編集部

「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」展示風景

メキシコの古代遺跡から140件の出土品が来日

 学生時代に歴史の授業で「世界四大文明」を学んだ人は多いだろう。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の4つの文明。だが現在は「世界四大文明」という言葉は使われなくなってきている。

 かく言う記者が「世界四大文明」の概念が古いと知ったのは、漫画『MASTERキートン』の第3話「小さなブルーレディー」のおかげ。娘が通う高校の先生に「私たちが使っている歴史の教科書は古いのですか?」と問われた平賀=キートンは、「ええ……四大文明なんてウソっぱちです。科学的調査法のなかった百年前ならいざ知らず、現在の調査では、少なくともこの時期、約二十の文明があった。これが今の考古学界の定説です」と、きっぱりと答えている。

 1989年にコミック化されたこの漫画の一コマが、現在では主流の考え方になった。エーゲ海沿岸やアフリカなど、世界各地に様々な文明が存在。もちろん日本にも縄文時代から文明が形成され、縄文式土器や土偶に見られる独自性の高さは世界でも注目を集めている。

 そして、古代メキシコも忘れてはいけない。メキシコでは前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3000年以上にわたって古代文明が繁栄した。6月16日に東京国立博物館にて開幕した特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」ではそんな古代メキシコに注目。マヤ、アステカ、テオティワカンという代表的な3つの文明に焦点を当て、遺跡からの出土品約140件を紹介している。

 

計画都市テオティワカンの先進性

《火の老神石彫》テオティワカン文明 450〜550年 テオティワカン、太陽のピラミッド出土 テオティワカン考古学ゾーン

 まずは、テオティワカン文明。テオティワカンとはメキシコの中央部テオティワカン盆地に築かれた古代計画都市の名で、前1世紀から後6世紀まで存在。テオティワカンはメソアメリカ全域に影響を与え、他地域から人やモノが集まる巨大都市として名を馳せたという。

 ではテオティワカンは、どんな街並みだったのか。テオティワカンの中心地区には「死者の大通り」というメインストリートが延び、通り沿いに3つのピラミッドを配置。火、熱、太陽、乾季の象徴である「太陽のピラミッド」、水、豊穣、大地、女性、雨季、月の象徴である「月のピラミッド」、そして内部に王墓を備えていたといわれる「羽毛の蛇ピラミッド」。

 さらに「死者の大通り」の両側には儀礼場や官僚施設、宮殿タイプの建造物が整然と並び、その周辺には規格化された住居群が設置された。約2000の住居用アパートメントが建ち、10万人の人々が暮らしていたという。工芸品の生産や交易などの経済活動が活発に行われ、天文学をはじめとする学問もハイレベルだった。

 古代にこんなに進んだ計画都市があったのか。テオティワカンについて知れば知るほど、驚かされるばかり。展覧会ではテオティワカンの出土品が公開されており、これがまた、見れば見るほど興味深い。《死のディスク石彫》は「太陽のピラミッド」正面の広場からの出土品。頭蓋骨がモチーフになっており、地平線に沈んだ夜の太陽を表していると考えられている。髑髏の口からペロンと出た舌がなんともユニークだ。

《死のディスク石彫》テオティワカン文明 300〜550年 テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土 メキシコ国立人類学博物館

《鳥形土器》は発掘者より“奇抜なアヒル”と命名された動物型土器。ひと目見たら忘れられない、おもしろ過ぎる造形! “奇抜なアヒル”とは言い得て妙だ。鳥の体には貝の装飾が施され、テオティワカンがメキシコ湾岸地域と交易があった証となっている。

《鳥形土器》テオティワカン文明 250〜550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土 メキシコ国立人類学博物館