スペイン出身の世界的建築家、アントニ・ガウディ。代表作であるサグラダ・ファミリア聖堂にスポットを当て、ガウディの建築思想と造形原理を探る展覧会「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が東京国立近代美術館で開幕した。

文=川岸 徹 写真=JBpress autograph編集部

サグラダ・ファミリア聖堂 写真=アフロ

日本人はなぜ、ガウディに惹かれるのか

 建築界の世界的レジェンド、アントニ・ガウディ(1852-1926)。カサ・ビセンス、グエル公園、カサ・バッリョ、カサ・ミラなど、スペイン・バルセロナ市内に残る7件のガウディ建築は世界遺産に登録され、ガウディの死後約100年が経過しようとしている現在も世界中の人々を魅了し続けている。

 そして、ガウディの名を忘れられないものとしているのは、やはり「サグラダ・ファミリア聖堂」の存在だろう。1882年に建設の起工式が行われ、翌83年にガウディが二代目建築家に就任。それから140年が経っても、いまだにサグラダ・ファミリアは完成していない。「建設が続く未完の聖堂」だ。

 日本でもガウディとサグラダ・ファミリアは人気が高い。これまで日本ではたびたびガウディ展が開催されてきたし、旅行会社は「ガウディとサグラダ・ファミリアを巡る旅」といったツアーを多数用意している。でも、不思議に思う。サグラダ・ファミリアは異様にさえ感じる奇怪な装飾が目立つ複雑な建造物。日本人が好む均整の取れたすっきりとしたデザインではないのに、どうしてこれほどファンが多いのだろう。

 その答えを探るべく、東京国立近代美術館でスタートした「ガウディとサグラダ・ファミリア展」を訪れた。展覧会は「ガウディとその時代」「ガウディの創造の源泉」「サグラダ・ファミリアの軌跡」「ガウディの遺伝子」の4章構成。100点を超える図面、模型、写真、資料に最新の映像を交えながら、ガウディ建築の本質を読み解いていく。

 

勉強熱心で几帳面な性格

《ガウディ肖像写真》1878年 レウス市博物館

 第1章「ガウディとその時代」では、若き日のガウディの活動と時代背景を紹介するいわば序章。スペインのカタルーニャ地方、タラゴーナ県レウス市にて、銅板機具職人の家に生まれたガウディは県立バルセロナ建築学校に入学。図書館にこもることを好み、ギリシア・ローマやラテン、ビザンティン芸術の写真集などを読み漁る毎日を送っていたという。

アントニ・ガウディ《ガウディ・ノート》1873-79年 レウス市博物館

《ガウディ・ノート》は、そんな若き日のガウディが建築論を書き綴ったノート。建築物の装飾や色彩などについてまとめられている貴重な資料だという。ノートを埋め尽くすように丁寧に書かれた文字に、几帳面で真面目な性格であったのかと想像する。

アントニ・ガウディ《クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ》1878年 レウス市博物館

《クメーリャ革手袋店ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ》は、バルセロナの有名革手袋店からショーケースのデザインを依頼されたガウディが、自分の名刺裏に描き留めたデザイン案。これもまた、名刺の裏にさらっと書いたとは思えないほど丁寧で緻密。

 このデザインを基に造られたショーケースは、バルセロナの資産家アウゼビ・グエルの目に留まった。グエルは後にガウディの重要なパトロンとなり、グエル館やグエル公園が生まれる資金を提供した。一枚の名刺がガウディの運命を変えたといえるだろう。

 第2章「ガウディの創造の源泉」では、ガウディが徐々に“私たちが知るガウディ”になっていく過程を紹介している。

アントニ・ガウディ《植物スケッチ(サボテン、スイレン、ヤシの木)》 1878年頃 レウス市博物館

 ガウディは奇才と呼ばれるが、誰よりも歴史と伝統を重んじた建築家。「創造は、人を介して途絶えることなく続くが、人は創造しない。人は発見し、その発見から出発する」と、ガウディは述べている。

アントニ・ガウディ《グエル公園、破砕タイル被覆ピース》1904年頃 制作:ジャウマ・プジョールの息子 ガウディ記念講座、ETSAB(バルセロナ・デザイン美術館寄託)

 その意識からガウディはスペイン特有のイスラム建築を研究し、中世ゴシックのリバイバル建築に取り組んだ。さらに「自然」にも興味を示し、動植物のスケッチにも励んだ。また浸食地形である自然の洞窟もガウディの重要な発想源だ。こうした学びから、ガウディは生き物の形を想起させる家具や建築部材を設計している。