サグラダ・ファミリアはやっぱりすごい
第3章「サグラダ・ファミリアの軌跡」は本展覧会のハイライト。サグラダ・ファミリアの起源から現在までの全軌跡を紹介する。1866年に建立が立案されたサグラダ・ファミリアは正式名を「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」といい、1882年に起工。ガウディは翌83年に就任した2代目の建築家で、現在の主任建築家は9代目に当たる。
だが、建築家が9人もいるにも関わらず、サグラダ・ファミリアといえば、「ガウディの建築」だ。それはなぜだろうか? ガウディは2代目建築家に就任した時点から、残りの建築家人生をこの聖堂に捧げた。思考のすべてを費やし、パラボラ塔が並び立つ外観や内部の樹木式構造、ねじれ面を多用した造形、多彩色の鐘塔頂華など、独創的な建立母体を作り上げた。
そうしたガウディの頭の中を垣間見られるのが膨大な数の模型。ガウディは図面だけに頼ることなく、模型によるスタディを重ね、そこに修正を加えながら、建物の構造を練り上げていった。サグラダ・ファミリアの全体模型だけでなく、塔、柱、窓、煙突など、細部も模型を作って検証を行った。「ここまでこだわったら、なかなか完成しないのも当然だ」と思えてくる。
模型の中でもとくに見ごたえを感じたのが、ガウディが初期の段階から研究していた二重ラセン円柱構造についての模型。ガウディの二重ラセン円柱構造とは、「8星形の柱を星形数8の半分にあたる4mの高さで1回ラセン回転させると倍の16星形になり、次に4mの半分にあたる2mを加えた6mの高さでもう1回転させると32星形になる。その要領で、ラセン回転を続けていくと柱は64星形、128星形と星数が増えていき、最後は円形になる」というもの。
説明を聞いてもなかなか理解できないが、模型を見るとなんとなくガウディのやりたかったことが感じられるような・・・。そうした理論は抜きにしても、ラセン回転により形を変えながら上昇していく柱には力強い生命感やロマンが宿り、心地よく感じられる。
同じ第3章では、サグラダ・ファミリア聖堂「降誕の正面」を飾る彫刻群《歌う天使たち》を展示。作者は日本人彫刻家・外尾悦郎で、1978年より現地に滞在し、サグラダ・ファミリアの建設に携わっているという。さらに最終第4章「ガウディの遺伝子」では、ガウディ建築の現代的な意義を探るインタビュー映像や最新の研究成果などを紹介している。
展覧会を鑑賞し終えて、日本人がなぜガウディとサグラダ・ファミリアを好むのかが見えてきた気がした。奇抜でありながらも、その裏には歴史へのリスペクトや緻密な理論がしっかりと根づいている。だから、心にすっと入り込んでくるのだ。
いよいよ完成の時期が視野に収まってきたサグラダ・ファミリア。全貌が見られるのは楽しみだが、「本当にできるの?」という疑問もいつまでも持ち続けていたいなとも思う。