“言ったもの勝ち”の風潮に「刀を抜く」姿勢を示す

──最近、テレビなどでは、必ずしも専門家でない「識者」と呼ばれる方が登場し、コメントをする場面が一般的になっています。そんななか、専門家の社会的役割を問いかける本書の意義は大きいと感じました。

望月 専門家が神聖というわけでもないし、全員が正しいわけでも完璧なわけでもありません。ただ、この本で僕たちが示したかったのは、専門領域に対しては、少なくとも専門外の人よりは知っているし、長年の蓄積があるという当たり前のことです。

 専門家ではない識者の意見も大事かもしれないし、そうした多様な意見は面白いかもしれませんが、その中に専門家の意見があることが社会にとって大切だということをわかってもらいたい。どんなにスポーツ万能な人だって、サッカー選手にサッカーでは勝てないように、素人に歯を抜いてもらうよりは、あまり腕がよくなくても歯医者に抜いてもらうほうがいいように、専門分野については専門家が必要なのではないでしょうか。

 それから自由な発想は大切だけれども、「なんでもあり」が面白いかと言ったら、そうではないと僕は思っています。事実に基づかないことって、必ず行き止まりになりますから。

──建設的な批判や検証、そして訂正が学問を前に進めていくことを痛感します。

望月 本にも書きましたが検証作業は「雪かき」のようなもので、誰かがやらなければいけないけれど重労働、何かの実績として残るわけでもないし、たいして尊敬もされない(笑)。

 でも、いざやってみたら面白かったです。大変だったけれど、僕自身も改めて土偶の勉強になりました。検証だけにとどまらない土偶の解像度がより上がる本になったので、『土偶を読む』のファンの方も、そうでない方も、ぜひ読んでもらいたいですね。この本をきっかけに、縄文研究や、縄文の謎に興味をもってもらえたらうれしいです。

 最近はSNSなどでも、「言ったもの勝ち」みたいな状況があるように感じます。いい加減なことを言い放つ人には「刀を抜くぞ」という姿勢を、この本で見せることができたかなとも思っています。