危機になるとパンが売れる
ここからはある知り合いの経営者兄弟の取り組みを紹介したい。
ウクライナ西部で、イースト(酵母)とペットフードの会社を兄弟で経営している友人がいる。ロシアに侵攻されてからも、さまざまな問題を乗り越えて頑張っている姿を見るのは嬉しい。だが、新聞に出ないような辛い話もたくさんある。
最後まで戦争になるとは信じたくなかったが、国際メディアが騒ぎはじめた2021年12月から少しずつ準備を始めていた。気にしすぎかもしれないと思いながら、300人も働く会社だからと、万が一のためにシェルターを準備した。役に立たないでほしいと思いながら、空襲警報が出たときのシミュレーションと避難訓練をした。
本当は「カイゼン」が好きで在庫を持たないようにしているが、念のために2カ月分の材料を備蓄した。ウクライナで買えるものは全部揃えた。そのなかには、東部で製造している硝酸や硫酸、包装用の材料などもあった。戦争が起きても影響を受けずに2カ月間は製造できるので、とりあえず安心だと思ったという。侵攻が始まっても2〜3人しか避難せずに済んだ。
2月には、ポーランドの物流と販売の関係者から、「従業員の子どもたちを保護者とともに引き受けましょうか」という申し出を受けた。最初は誰も行く気がなかったが、空襲警報の回数が増えて、ミサイルも飛んでくるようになると、希望者が出てきた。結局、数百人をポーランドに避難させてもらった。ポーランドの取引先の社長も、自分の家に6人住まわせてくれた。小さな田舎町だったが、子どもは学校で授業を受け、週末には観光もさせてくれた。とても自然な形で助けてくれたので、皆とても感謝している。
会社の敷地にもミサイルが飛んできた。だがオーストリア=ハンガリー時代に築かれた頑丈な塀の向こう側に落ちたので無事だった。ソ連製のミサイルだった。
この会社はウクライナ各地に工場を3つ持っている。西ウクライナ以外の2つはハルキウとクリヴィーイ・リーフにある。侵攻当初は東部の2工場が稼働できなかったが、製パン用のイーストが非常によく売れた。コロナ禍の時期もそうだったが、人々が危機感を強く持つときによく売れるらしい。店に買いに行けないかもしれないと恐れて、家でパンを焼くために買う人が増えるようだ。逆に平和な時代には、人々は安心して自分の健康を気にするようになり、パンの消費が減るようだ。
東部の2工場も製造を再開し、商品の5割は国外輸出用である。1年前にウクライナの通貨フリヴニャが下落したときに国外からの融資を得て、新しい工場施設を建てていたことも役立った。大変な状況のなか、輸出先の関係者は1人も取引を止めなかった。もちろん、万が一製造が止まった場合の「プランB」も考えていたが、戦争だから取引をやめますとは誰も言わなかった。
特にクロアチアとドイツの取引先の人々はすばらしく、輸出量も伸びた。クロアチアからは、「我々も戦争を経験している。平和なときによくやっている会社は戦争のときも大丈夫だ」と勇気づけてくれた。