タブーなき安保議論への覚悟
安倍元総理の安全保障政策面での功績は、やはり「安全保障法制」の制定であろう。
この法律は、新法、自衛隊法等の改正がパッケージになったものであり、非常に複雑なものであるが、日米安全保障体制という観点からは次の2点に焦点を当てることができる。
一つは存立危機事態の規定だ。
我が国が直接攻撃を受けていなくても、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態と認定されれば防衛出動が許される。いわゆる限定的な集団的自衛権の行使だ。
しかし、これはあくまでも有事の事態である。
それに加えて、平時から自衛隊が米艦、米機を防護できる態勢が整った。これは平時から目に見えることであり、私が現役時代は、米軍幹部から「日本は変わった」と言われた。
逆説的にとらえれば、それまでの日米同盟は脆弱性を含んでいたとも言える。安倍総理にはそうした隙間がよく見えていて、内閣支持率が落ちることも覚悟の上で、その隙間を埋める努力をされたのである。
しかし、安倍元総理が目指されたのは対等な日米同盟だと思う。
その意味で限定的ではなくフルスペックの集団的自衛権の行使を目指されたと思うが、過去の経緯からそれを断念され、一歩でも日本を前に進める現実的な選択をされたと思う。
安全保障環境は、安倍元総理や私が現役であった時代より厳しさを増している。この厳しい安全保障環境に如何に的確に対応していくかが、安倍元総理という羅針盤を無くした日本の最大の課題であろう。
厳しい安全保障環境を考慮すれば、防衛力強化も従来の延長線上の議論では追い付かない。防衛費は、安倍総理が提言された通り、政治の意思としてGDP比2%を目指して動き出している。
安倍元総理は「核シェアリング」の議論さえ否定しなかった。我が国の国民、国土を守るためには、もはやタブーはないとの覚悟の表れだったと思う。
いずれにしても安倍元総理が最終的に目指されたことは「戦後レジームからの脱却」だと思う。これはすなわち安全保障問題をイデオロギーではなく、常識論で語ることでもある。