タイ・バンコクで開催されたASEAN首脳会議・関連会合に出席した安倍晋三首相(当時)(2019年11月4日、写真:ロイター/アフロ)

 2022年7月21日、著名エコノミストの武者陵司氏が主宰する「武者リサーチ」が安倍元首相追悼セミナーを赤坂・紀尾井フォーラムで開催しました。その際に日本戦略研究フォーラム顧問の古森義久氏(産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)が「安倍晋三氏と日本、そして世界」と題する基調講演を行いました。安倍晋三氏は当日本戦略研究フォーラムの最高顧問でした。その安倍氏への改めての弔意を表する意味でも、本フォーラムとして武者氏のご了解を得た上で、この古森氏の安倍晋三論の内容を紹介いたします。(日本戦略研究フォーラム)

若竹のような青年だった

 本日は皆さんお集まりくださって有難うございます。

 この素晴らしい企画、安倍晋三さんという日本にとっても国際社会にとっても特別な人が、非常に不慮のなんとも納得のできない亡くなり方をしたことに対して、まず弔意を表そう、そしてどういう実績が彼にはあったのかを語ろうという集いをこの時期に催すということは非常に前向きな日本全体にとっても大きなプラスになる企画だと思います。

 安倍晋三ウォッチャーというのは無数にいるわけです。安倍晋三サポーターももっとたくさん政治の世界はもちろん、ビジネス、マスコミ、あるいは学界に存在します。そんな中で、私がなぜあえて皆様の前でお話できるのか、3つほどの背景をご説明したいと思います。

 もし私に安倍晋三氏を語る資格があるとすれば、第一に考えられるのは、やはり安倍さんを知って交流があった期間がきわめて長いということです。考えてみると、ちょうど40年前の1982年に初めて安倍さんと会いました。私はその前に毎日新聞のベトナム特派員、その後すぐにワシントン特派員をやって、ほぼ10年海外で国際報道に没入してきました。その直後から東京での政治部の記者として外務省を担当しました。

 ちょうどその時に安倍晋三さんはお父様の安倍晋太郎さん、この方も昔は毎日新聞にいましたが外務大臣になったので、その秘書官として外務省に入ってきました。まだ若くて20代の後半でしたが、彼もロサンゼルスに留学したり神戸製鋼という民間の会社で働いたりして一通りの社会生活は経てきたわけです。

 そこで記者側、外務省側、両方の若手を中心に勉強会をしようということになりました。そこに安倍さんも入ってきたのです。安倍さんが中心になるという感じはあまりなかったですが、彼は印象的な青年でした。非常に爽やかな、若竹を思わせるようなスラッとしていて、パッとポイントを突く発言をするのです。けれども時々ふと黙って深い思索に入っていくような感じがあって、そんなふうに寡黙になるのは、若者にしては珍しいなという印象を私は受けたのを覚えています。いま思えば、彼が人の話をよく聞き、その場その場でそうして聞いた言葉を深く考える習慣があった、ということでしょうか。

国際情勢への強い関心の若手政治家

 それから2つ目に、安倍晋三さんと私との交流というのはやはり国際的な文脈、国際情勢の中でいろいろ語り合ったことです。私が初めて会ってから10年近くしてから、彼は国会議員になりました。その時期、私はまたワシントンに駐在しましたが、時々東京に帰ってくる。もう少し後になると北京に駐在しました。

 その期間には北京とかワシントンから戻ってくるたびに安倍さんと会っていました。そのころ私は政治家との取材のための付き合いも国際問題を語れる人、関心を持っている人に絞っていましたので、その相手は非常に数は少ない。でも安倍さんは喜んで会ってくれて、国会の会期中にも議事堂の地下の質素な食堂で何か食べながらワシントンや北京の状況を話した記憶があります。

 3番目の背景は、雑誌「正論」(2022年7月号掲載)での対談「いまこそ9条語るべき」です。元首相との対談というのはおこがましく、私が彼の話を聞くというのが本来の姿なのですけれども、彼の方が、いや対談でいきましょう、お互い長く知っているのだから、ということになりました。その結果1時間半ぐらいの語り合いとなりました。彼の議員事務所で4月の終わりごろでした。今から思うと私と彼との1対1の話し合いはそれが最後になった。ここで彼は実にいろいろなことを語りました。一番熱を込めたのが憲法の改正ということだったといえます。

安倍氏は改革派だった?

 さて安倍晋三さんとは、一体どういう政治家だったのか。すぐに使われる言葉は保守という表現ですね。しかし、私はむしろ安倍晋三氏は改革派だと思うのです。改革というのは今、目の前にあるなんとなくもう既に出来ているシステムを変えようとするということ、これが改革ですよね。それから多数派の人たちが持っている意見に対して当面は少数の立場から反論を唱える、と、これもまあ改革ですよね。古き良きものを守るという部分もあったのですが、安倍さんの政治的主張は全体としては改革だった。刷新だとも言えるでしょう。

 しかもそれを超えるような特徴として、安倍さんはやはり現実主義者だった。世界の現実というのを見て日本の実態に反映させていくという一貫性に特徴付けられていたと思うのです。