(英エコノミスト誌 2022年7月16日号)

G20大阪サミットで日米印首脳会談を主催した安倍氏(2019年6月28日、写真:ロイター/アフロ)

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「自由で開かれたインド太平洋」というコンセプトは非常に大きな地政学的レガシーの一つだ。

 長年、ある手続き上のルールのせいで、日本の首相が普通に外国を訪問できるのは国会が開かれていない短い期間に限定されてきた。

 近代の日本では、内向きでぱっとしない人が首相官邸の主になることが非常に多く、それに合わせて作られたようにも見えるルールだ。

 7月8日に暗殺された安倍晋三氏は、そういったステレオタイプとはこれ以上ないほどかけ離れた存在だった。

 2012~20年の長い第2次安倍政権の時には、アジアや米国、そしてそれ以外の地域にも足を伸ばし、計81カ国を訪れた。

アジアにおける地位に大きな変化

 こうした外遊は、日本の外交政策の焦点とアジアにおける日本の地位を大きく変えることに貢献した。

 そして、第2次世界大戦以来、最も影響力がある日本のステーツマン(立派な政治家)としての安倍氏の地位を固めた。

 安倍氏はかつて筆者の取材に応じた時、中国の台頭は存在に関わる脅威を日本に突き付けている、19世紀半ばに西洋の帝国主義の列強が軍艦に乗って東京湾に現れた時に似ていると説明した。

 これに対する安倍氏の対応は、国内では、経済と防衛の両方を強化することだった。

 そして海外では、東アジアの平和と繁栄を数十年にわたっておおむね保証してきた開かれた国際秩序を中国がその自己主張によって壊してしまうことがないように、普段は内気な日本があえて最前線に出て努力することを意味した。