突然、マスコミのいない滑走路で

 7月8日で1周忌を迎えるにあたり、安倍元総理とのエピソード、安倍元総理の日本の安全保障にかける思いを綴ってみたい。

 私が海上幕僚長時代の2013年4月、安倍総理を硫黄島にお迎えした。その前年の12月に、安倍総理は首相に返り咲かれていた。

 ご承知の通り、硫黄島は日米の激戦地となった場所である。のちに安倍総理は、米国議会での演説の中でも硫黄島の戦いを取り上げられた。

 その硫黄島で安倍総理をお迎えした時の印象は鮮烈だった。

 安倍総理は視察を終えて、次の視察地である父島に向うために飛行艇に乗り込む際、いきなり滑走路にひざまずかれ、手を合わせて、頭を垂れられたのである。

河野海幕長や首相秘書官の前で、滑走路にひざまずき手を付く安倍首相(肩書は当時、写真:首相官邸フェイスブックより)
硫黄島の滑走路で突然ひざまずいた安倍首相を、河野海幕長や首相秘書官らが囲む(肩書は当時、河野氏提供)

 報道陣は先行して父島に既に向かっていたので、この時点ではマスコミは硫黄島にはいなかった。したがってパフォーマンスでも何でもない。

 私も含め、随行者は誰一人予期していない行動だった。滑走路の下にも日米の将兵のご遺骨がいまだに埋まっていることをご存じだったのだ。

 この様子を拝見し、心底、戦没者に対する哀悼の念の深い方だと痛感した。

 このお姿を見て、私は、安倍総理にとって靖国参拝は正真正銘の心の問題であり、政治ではないのだと確信した。

 よくリーダーは、「国家観」「歴史観」を持たなければならないといわれる。私はこの光景を見て、その根底に犠牲者、国であれば戦没者に対する哀悼の念がないと、その「国家観」「歴史観」は薄っぺらなものになると確信した。