死して存在感の大きさを感じさせる安倍晋三とは何だったのか(写真:つのだよしお/アフロ)
  • 安倍晋三元首相が凶弾に倒れて1年が経過しようとしている。
  • 7年8カ月という長期政権を築いたが、安全保障や社会保障、日本経済のテコ入れなど対処できなかった国家的課題も少なくない。
  • 「お友達官邸」で政権は安定したが、能力のある人の登用がうまくいかなかったことが必要な政策を推し進めることができなかった一因だ。

(山本一郎:財団法人情報法制研究所 事務局次長・上席研究員)

 2022年7月8日、悲運としか言いようがない事件で安倍晋三さんが亡くなられてから、早くも1年が経過しようとしています。

 安倍晋三さんに対しては、熱狂的に支持する方も、戦後日本政治をダメにしたと批判する方も、賛否両論どちらも多くの声に彩られており、今なおその存在について議論になるあたり、やはりいろんな意味で大きい存在だったのだなと改めて実感します。

 個人的に、安倍さんと直接お話させていただく機会はそう多くはありませんでしたが、ややもすれば「お友達官邸」などと揶揄される同志意識の強さに裏付けられる結束の固さこそが安倍さんの力の源泉だったのだなと思い返すことが、亡くなられてからむしろ増えた気がします。

 というのも、岸田文雄政権における臨時国会閉幕間際の解散するしないのドタバタに関して、各種調査で浮き彫りになった一つの事実があるからです。それは、「まあまあ国民からの支持は集まっているんだけど、熱烈的に岸田さんを支持する人がいるわけではない」というマヨネーズかよと思うような支持基盤の弱さです。

 これは、岸田文雄さんが宰相としてダメだという話ではなく、本来、政党に対する支持というのは空気というか陽炎(かげろう)のようなものであって、質問の仕方や直前の事件報道一つで有権者の支持は揺れるものだからです。社会調査において国民有権者の民意を探ることと、工業製品であるネジが良品かどうかを計測するということとは本質的に異なるのです。

 きめ細かな分析を、と要望されることも増えてきたものの、特に高齢者の方の意識調査の場合、経験則として年金支給日前の調査では政権支持は低めに、年金支給日のあった週末は高めに出るのは「有権者には、現実の、生活があるから」に他なりません。

 政治の役割は国民の生活を豊かで安寧たらしめる目的に他なりませんから、今の生活を振り返って政治姿勢を示すとき、どうしてもそういう目の前のことで支持するしないが揺れるのは当然のことなのです。

 他方、安倍晋三さんというのは不思議な人で、割と劇薬めいた「アベノミクス」と自ら名付けた社会実験のような強烈な量的緩和を強行して、トリクルダウンと称する謎の経済政策で円安誘導をするかたわら、政策的には中道左派、というか左翼のような割と大きめの政府で国民の生活防衛に資する政策を組んでいました。

 いわば、上野千鶴子さん的な「みんなで貧しくなろう」的な経済政策にも近いやり方であり、その極北は安倍さんによる「デフレ経済脱却を目的とした物価上昇目標2%」や「最低賃金の年3%引き上げ」という、共産党も椅子から落ちるような極左真っ青の政策目標だったわけです。インフレと戦うはずの日本銀行がインフレ目標を設定して札束を刷って証券を買い上げるってなんぞ?