武田と徳川がしのぎを削った小山城

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第23回「瀬名、覚醒」では、長篠の戦い以降、徳川家康の嫡男である松平信康が、精神状態のバランスを著しく崩してしまう。一方、瀬名が武田の使者・千代と密会していることを、五徳が父の信長に報告し・・・。緊迫の度合いを増す今回の見所について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

「長篠の戦い」敗北後も諦めなかった武田勝頼

 武田信玄が病死して2年後に起きた「長篠の戦い」において、勝頼は織田信長と徳川家康の連合軍に大敗を喫する。それをきっかけに武田氏は衰退の一途をたどり、滅びてしまった──。

 武田氏の衰退については、そんなふうに大づかみで捉えられることがあるが、正確ではない。「長篠の戦い」で敗れてもなお、勝頼は勢力拡大を諦めず、徳川勢と戦を繰り広げている。

 とはいえ、勢いで勝るのは家康のほうだ。二俣城、光明城、犬居城と落城させ、武田軍に奪われた城を取り返している。さらに、諏訪原城を攻略すると、そのままの勢いで小山城へと攻め込んだ。

 だが、小山城を守備する城将の岡部元信が、思いのほか手ごわかった。武田勝頼が後詰めに現れるまでの間、岡部元信は徳川勢の猛攻を見事に凌いでいる。勝頼は大井川に着陣すると、徳川軍が包囲する小山城へと向かうため川を渡ろうとした。

 勝頼の援護を受けて、家康は退却を指示。いったんは小山城を諦めている。その後、家康は高天神城の奪還に動き出す。

 そうして、いざこざを繰り返しているうちに時は過ぎ、長篠の戦いでの敗北から武田氏の滅亡までには、実に7年の月日を要している。