ローカル線の存廃は住民の意識次第
──東日本大震災は、茨城や千葉にも非常に大きな影響を与えました。観光地が軒並み無人になり、多くの商店、飲食店が廃業に追い込まれました。人が動かなくなった、動けなくなったのですから、鉄道会社の経営も悪化しました。
吉田:私が社長に就任して約3年が経過して、そろそろ黒字が計上できるかなと考えていた年度末の3月に地震が発生しました。そこから何とか持ち直してきたかなというところで、今度はコロナ禍に襲われました。市民の方からは、「飽きる間もなく、いろいろなことが起きましたね」とも言われましたが。
──コロナ禍の時は、千葉県の銚子電気鉄道では1日の運賃収入が5000円だったと同社の竹本勝紀社長が後で笑い話にしていました。
吉田:当社でも似たようなものでした。社員同士で「お金を貯めておこう」と話しあっていましたから。定期券の払い戻しをするお客様が来ても、お渡しするお金がないということになりかねなかった。
──それでも、鉄道が見捨てられることはありませんでした。
吉田:これは私の「体感」的なものなのですが、ローカル線が廃止されるのか、それとも残されるのか。結局は住民の意識にかかっているように感じます。
私が昔携わっていた富山県の万葉線にしても、廃止か存続かという議論がありました。私は「五分五分かな」とみていましたが、鉄道は残った。市民の方に鉄道を残したいという気持ちがあって、それが至るところで動きに現れたことが存続につながったのだと思います。