萩城 撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

36万石で萩に居を構えた毛利輝元

 久しぶりに萩城へ行こうと思い立ったのは、春の日本海が見たくなったから。

 日本海側の海岸線は太平洋側にくらべて岩場が多く、概して人工物も少ないので、何というか「人にこびた」感じがしない。それに、光の当たる向きが太平洋側とは逆なので、波頭のきらめき方が美しい。

萩城の裏手から眺めた春の日本海

 そんな海岸線を、ぼーっと車窓から眺めるような汽車旅をしたいのなら、五能線か山陰本線の益田〜下関間にかぎる。山陰本線でも他の区間は、線路が案外、海岸線に沿っていなかったりするからだ。

 などという理由で、萩を訪れる。この街は、個人で観光するにはあまり便がよくない。城や武家屋敷街が駅から遠くバス便が乏しいし、駅前には飲食店もない。ほおっておいてもバスツアーが来るので、個人客への対応が後手に回っている印象だ。ただ、そのおかげで、オフシーズンの平日は静かな城歩きが楽しめる。

幕末には多くの志士を輩出した武家屋敷町も今は静かだ

 萩城を築いたのは、毛利輝元だ。豊臣政権下で五大老の一人に数えられた輝元だが、関ヶ原で西軍側に立ったため領地を大きく減ぜられ、長門・周防36万石で萩に居を構えることとなった。瀬戸内側の広島から、日本海側に押し込められたかっこうである。

 とはいえ、36万石は充分に大大名だ。当然、城もなかなかの規模である。建物が残っていないので印象は地味だが、城域が広いし、石垣も縄張もしっかりしている。