実はこのDNA鑑定と取調べに問題があったのだが、一度犯行を認めたら覆すのは難しい。公判の途中から菅家さんは無罪を主張するが、1993年に宇都宮地方裁判所は菅家さんに無期懲役の有罪判決を下す。控訴は棄却され、1997年に最高裁に申し立てたDNAの再鑑定も拒否される。

 こうして2000年7月、最高裁で菅家さんの無期懲役判決が確定した。

 再審への道は遠かったが、2008年12月になってようやく道が開けてくる。東京高裁でDNAの再鑑定が認められたのだ。

 そこからは早かった。翌2009年の4月にはDNAの不一致という結論が出、6月に再審開始決定、これは事実上無罪ということで菅家さんは釈放された。逮捕から17年半の年月が過ぎていた。

四畳半の部屋、きちんと畳まれた布団

 私が菅家さんに初めて会ったのは彼が釈放されてまもなくの頃だった。菅家さんは支援弁護士の自宅で仮住まいをしていた。

 弁護士宅の、与えられた4畳半の部屋で話を聞いたが、部屋の隅にきちんと畳まれていた布団が印象深い。それは私に17年半という長い刑務所暮らしで染みついた悲しい生活習慣を連想させた。

 そしてその布団の横で正座をして俯きながらじっと前を見つめている菅家さんの表情は悲しいほどに気弱で優しく見えた。これではとても刑事たちの鬼気迫る自白強要には立ち向かえないだろう…と、私はそんな事を考えていた。

 再審が開始され、判決を間近に控えた2010年3月24日、私は再び菅家さんを訪ねた。そして一緒に事件の現場にも足を向けてみた。