そこで一旦は電話を切ったものの、このやりとりを聞いていた編集部内から、疑問の声があがったようだ。結局、2頁を3頁に増やして佐野眞一と私が折半して執筆するおかしなことになった。現存する当時の誌面が、その経緯を裏付ける。

 因みに、この編集長というのが、のちに朝日新聞のコラム「素粒子」で、ハイペースで死刑執行の判を押し続けた当時の鳩山邦夫法務大臣のことを「死に神」と書いて、批判に晒されている。

「警察の捜査はいつもいい加減のはずであって」

 それと最悪なのが記事の捏造。フェイクニュースだ。

 ある日、やはり私の担当デスクから電話で、同誌に掲載された記事の取材対象者と会ってほしいと告げられた。交通事故にあった娘の捜査がいい加減で、調書にも事実と異なる嘘が書き立てられていることを現職の警察官が告白した記事で、まとめたのは女性のライターだった。どういう趣旨で会う必要があるのか、私にはよくわからなかったが、とりあえずその警察官と電話で話をして、嘘が書き立てられているという調書や捜査資料を見せてもらうことにした。

 すると、記事の中で指摘している事実と異なる箇所というのは、実際には事故被害者からの指摘を受けて、すべて斜線が引かれて指摘のとおりに訂正され、適切に処理されたものだった。むしろ父親の警察官の意向を色濃く反映している。問題にはあたらない。それをあえて訂正もないまま捜査を終了したように記事が書き立てていた。つまり、記事のほうが嘘だったのだ。それで警察の捜査の不備を非難して、読者を欺いている。

 とても許されるものではなかった。私は担当デスクにそのことを報告した。すると、この記事を編集した担当デスクに、直接そのことを話してほしい、ということだった。