そこで担当デスクに会って話をしたはいいが、それはそれで悪いことをしていないと言った。むしろ、こんな記事の不備を指摘する私のほうがおかしいとまで言った。その理由というのが、そもそも警察の捜査は総じていい加減なものであるはずだから、それを指摘するのに事実確認の必要はない、これくらいは許される、というものだった。
話にならない、とはこのことだった。この捏造記事とその顛末については、文藝春秋から発行されていた『諸君!』という月刊誌に書いた。その雑誌も既に休刊になっているが、その当時、この記事の見出しを新聞広告に載せるにあたって、朝日新聞は拒否してきた。それでも広告担当者に記事を読ませたところ、内容に納得して、朝日新聞にも掲載された。
この問題の担当者は、どういうわけか、それから『週刊朝日』の編集長に就いた。ところが、北朝鮮の拉致被害者で帰国した地村保志夫妻に取材した記者の隠し録りを無断で「インタビュー」として掲載して、大問題となり、編集長でありながら謹慎処分を受けるという、信じ難いことをやってのけている。
また、この記事を書いた女性ライターは、いまでも交通事故の記事をネットメディアに寄せている。それを目にする度に辟易する。
このことがあって、私は同編集部とは距離を置くことになった。それから、朝日新聞の第一線で活躍する記者に『週刊朝日』の編集部は社内では「掃きだめ」と囁かれていることを聞かされた。
それともうひとつショックだったのは、揉め事の間に入っていた私の担当デスクが、その後、自殺したことだった。『週刊文春』の記事で知った。社内では気の弱さが評判だったようで、あの体質が彼を自死に追い込んだのではないか、と私は疑っている。
瀬戸際にあるのは『週刊朝日』だけではない
そんな内情からすれば、いつ廃刊になってもおかしくはないと感じていた。企業体質が企業を滅ぼすことはよくある話だ。ただ、今回の休刊には、雑誌業界の置かれた深刻な問題がある。
私の所属する日本文藝家協会から機関紙といっしょに、2018年から19年にかけて「本の未来研究リポート」というものが送られてきていた。それによると、出版販売推定金額は1996年をピークに20年が過ぎた2017年にはその半分にまで落ち込んでいる。しかも、書籍の販売はピーク時に比べて34.6%減少したのに対して、雑誌の販売は58.1%の減少。ずっと雑誌が出版界をリードしてきたはずが、2016年には書籍の販売が雑誌を上回るまでになった。