練馬区の石神井城跡

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

東京に残る歴史の跡

 東京の城というと、たいがいの人は江戸城を思い浮かべる。あるいは、多少なりとも城や歴史に関心のある人なら、戦国時代に北条氏が築いた八王子城や滝山城の名を知っているかもしれない。

 でも、本当は東京にはもっとたくさんの城がある。すっかり都市化の進んだ23区内だって、中世・戦国時代の城の面影を求めることは、けっこうできるのだ。

 というわけで、東京23区内に点在する城跡を月イチのペースで紹介してみよう、というのがこのシリーズ。最初に紹介するのは、練馬区にある石神井(しゃくじい)城だ。西武池袋線の石神井公園駅を南側に降りて、商店街と住宅街を15分ばかり歩くと、三宝寺池のほとりに出る。池の対岸に広がっている石神井公園の森が、すなわち城跡だ。

築城した背景が複雑な石神井城

三宝寺池ごしにのぞむ石神井城跡。現在、城の中心部は公園となって木立の中にひっそりと眠っている

 この地に城を築いたのは豊島泰経(としまやすつね)・泰明の兄弟で、関東地方が本格的な戦国争乱になだれこみつつある文明年間(1470年代)のことである。とはいえ、豊島兄弟が石神井に築城した背景は複雑だ。

 もともと室町時代の関東は、足利将軍家の子弟が鎌倉公方として治め、関東管領の上杉氏がこれを補佐する体制をとっていた。室町幕府の関東総支局みたいなものである。ところが、公方と関東管領とが仲違いを繰り返したあげく、とうとう決裂してしまった。公方は鎌倉を捨て、房総や常陸の諸勢力を支持基盤として下総の古河に居を移した。

 一方、関東管領の本家である山内(やまのうち)上杉家は上野と武蔵、分家の扇谷(おうぎがやつ)家は相模の、それぞれ守護に任じていた。このため、関東は東半分が古河公方の、西半分は管領上杉氏の勢力圏となって、泥沼の抗争が続くこととなった。

 そんなさなかの文明8年(1476年代)、管領家の有力武将だった長尾景春が主家に反旗をひるがえした。この長尾景春が、天才戦術家であった。彼は少ない兵力を巧みに活用して管領軍戦線の背後をかき回し、さらに各地の不満分子に声をかけて、勢力を拡大していった。

 その景春が怖れたもう一人の天才軍略家が、扇谷上杉家の家臣筆頭として江戸城を守っていた太田道灌である。景春は、道灌を江戸城に釘付けにするべく策を打った。江戸のすぐ西に勢力をもつ豊島兄弟が、道灌を邪魔に感じていることに目を付けて、兵を挙げさせたのだ。

三宝寺池を渡ると城址碑がある。これだけ見て「何もないね」といって帰ってしまう人も多いが、背後の木立の中が主郭である

 このとき豊島兄弟が築いたのが、この石神井城と練馬城だったのである。両城のうち練馬城は旧豊島園の場所にあって、戦前まで土塁や堀がよく残っていたが、戦後に遊園地となって消滅してしまった。ただ、石神井城の方は、主要部の土塁と堀が意外によく残っている。

 三宝寺池を渡って木立の中に入ると、城跡碑が目に付く。このすぐ上のところに、本丸の土塁と堀がフェンスに囲まれて残っている。フェンスは貴重な遺構を保護するためのもので、イベントのときなどは中に入れるので、興味のある人は区のHPをチェックしよう。

石神井城の主郭は遺構保護のため、フェンスに囲まれている。空堀と土塁が見えるのだが、わかるかな?

 この土塁と堀は、フェンス越しに眺めても思いのほか大きい。もっとも、廃城から500年以上もの星霜を経て、土塁は崩れて堀を埋めている。当時は堀は深く鋭角に落ち込み、土塁も急角度で立ち上がっていた。

画面中央の凹みが空堀、右手の高まりが土塁で、その中が主郭である。500年以上の歳月をへて土塁は崩れ、空堀は埋まっている

 さらに、この本丸を中心として城域が広がっていた。公園の南東にある三宝寺と道場寺との間の道は、城域の東側を画する堀の名残だし、三宝寺池の西の橋からまっすぐ南に向かう道路も、城の西側の堀だった。城域は、南北330メートル、東西360メートルもの範囲に広がっていたことが、調査でわかっている。

主郭南側の堀跡は道路となっている。画面右手は主郭の土塁で、左手は三宝寺の塀だ

 さて、意気軒昂な豊島勢が拠る石神井城・練馬城を、手持ちの兵だけで落とすのは無理だと判断した道灌は、巧みな計略を用いて豊島勢を野戦におびき出して撃破し、ついには石神井城も落としてしまった。辛くも城を脱出した豊島泰経は、なおも潜伏と抵抗をつづけるものの、再び石神井城に返り咲くことはかなわなかった。かくて城は廃墟となり、草木に埋もれて農地や市街地に変じ、こんにちに至っているわけだ。

 なお、石神井落城に際して姫が三宝寺池に身を投げたとか、黄金の鞍が沈んでいるといった伝説が語られているが、いずれも近代に入ってから大衆小説として創作された話で、史実ではない。まあ、ネタとして楽しめばよいだろう。

 

[参考図書] 石神井城攻防戦や太田道灌の戦いについて、もっと詳しく知りたい人は、西股総生著『東国武将たちの戦国史』(河出文庫)をどうぞ。普通の歴史書ではなかなか取り上げられない東国武将たちの知略を尽くした戦いと人物像を知ることができます。